鶴岡散策

お寺、神社、教会を一日で回るのは、節操がなさすぎ・・・と思いつつ、「ご自由にどうぞ」という文字に招かれるようにして鶴岡カトリック教会天主堂の中へ。

真っ先に目に入ったのが、黒い聖母マリア。フランス・ノルマンディーの修道院から献堂記念として来日したその像は「私は黒いけれども美しい」という旧約聖書の雅歌をもとに木彫り制作されたものだそうです。
日本で唯一の黒いマリア像。白磁でできたマリア像のイメージが強い私にとって、印象に残る美しいお顔でした。

こうもり傘天井の礼拝堂・集会所には、畳が敷かれています。讃美歌を捧げる鶴岡の人々の祈りの声を100年以上聴いてきているオルガンが入口の階上に設置されていました。

半円アーチの枠におさめられた窓絵からは、柔らかな陽光が差し込んでいます。当時パリから派遣されたダリベル神父の説法もこの光の中で響いたことでしょう。薄い透明な紙に描かれた聖画を外側から貼り、その外側にガラスを設け二枚のガラスで挟んだ手法。現在、この種の窓絵は日本でこの教会だけだそうです。

城下町鶴岡に1903年(明治36年)に完成した天主堂は、国の指定重要文化財にもなっています。赤い尖塔と青い空が見事なコントラスト!
寺院を思わせる門をくぐりながら、西洋文化を取り入れた明治時代の鶴岡の人々に想いを馳せました。

街歩きを続けるとひときわ目を引く新しくて立派な建物に遭遇。ドアを開けるとオーケストラの練習が聞こえてきます。これが昨年開館したばかりの噂のホール、荘銀タクト鶴岡です。
9月にかなフィル定期で演奏するモーツァルト第20番ピアノ協奏曲の旋律を聴きながら再訪を誓いました。

その向かいには、打って変わって古い建物が。。。
庄内藩酒井家9代忠徳が1805年に創設した致道館です。10歳から30歳前後まで(今でいう小学校から大学院)の舎生350人が学んでいた学び舎です。懸命に勉学に勤しんだ若者の気概が柱や廊下から滲み出ているかのよう。
蘭学者の書いた地図、漢文を写した達筆の文字。。。

そういえば、先祖の学者兄弟の名前が勉(つとむ)と強(つよし)だったという話を父から聞いたことがあるのですが、私の代ですっかり怠け者に堕落。恥ずかしい気持ちで致道館を後にしました。

西洋と日本、古いものと新しいものが不思議な調和を見せる鶴岡の街でした。

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