謹賀新年

初春のお慶びを申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

毎年、弾き初めはバッハと決めているのですが、今年はヴィヴァルディの《四季》。2022年の四季が穏やかで平和に満ちた年となりますよう、願いながら。
この曲は、自分にとって「聴く曲」であり、「弾く曲」と思っていなかったのですが、2月20日に羽村市ゆとろぎ大ホールにて、チェンバロ奏者として出演予定。
あらためてスコアを見直しながら、通奏低音で参加させていただく「アンサンブルの日」を楽しみに、準備しています。

標題音楽である《四季》には、季節ごとにソネット(14行詩)がついています。情景が楽譜に書き込まれており、音型がその表現に直結していて、修辞学的な面白さ満載の曲です。
この曲中では、夏が一番厄介な季節。雷鳴轟き、雷が落ち、ひょうが降る様子が、ト短調のプレストで。そして秋は豊かな収穫の喜びで踊り歌う若者の様子。
最後の行は「冬は喜びをもたらす」。

ところでチェンバロの音は、弦の音にかき消されて客席にはほとんど聞こえないけれど、音を外した時だけ聴こえてくる、という笑えない「笑い話」を聞いたことがあります。
客席に聴こえなくても一緒に弾く弦楽器奏者全員に聴こえてしまい、責任重大。メンバー全体のテンポをコントロールしながら、自由に即興で音を加えている通奏低音の名人達に脱帽です。

「音をテキトーに入れているだけ」と謙遜する方々が、いかに「適当」な音運びをするかを観察するうちに、自分も即興で音を加えたいという欲求が少しずつ芽生えてきた昨今です。
作曲家が曲の完成形を細部に至るまで仕上げているベートーヴェン以降の作曲家を弾く時と、数字付き低音が記されていて、あとは奏者に任されているバロックの曲を弾く時とでは、
要求されることがまるで違います。

あまり脳みそがつまっているとは言えない私の頭の中ですが、指への指令ボタンが入れ替わる感じ。
「草書」への第一歩となると嬉しいのですが・・・。

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