プラハ室内歌劇場「フィガロの結婚」

前日に続いて、プラハ室内歌劇場のオペラを観ました。きょうは中野のゼロホールで、「フィガロの結婚」です。
以前、オペラ劇場を主宰されている先生と演出についていろいろお話しさせていただいたことがあります。世界のあちこちでモーツァルトのオペラを見てこられたその方のおっしゃった言葉。
「モーツァルトの演出は難しい。きらめきがないとつまらないし、かと言って演出が前に出過ぎてしまうと音楽がどっかに行ってしまう。いつだったか、ドイツの劇場で、ドン・ジョヴァンニを観たけど、その演出は、悲鳴とともに全裸で宙づりにされたツェルリーナにスポットライト。こうなっちゃうとだ~れも音楽なんて聞いてないからねぇ。。。」
しかもモーツァルトのオペラに関しては、お客さんは、それぞれイメージを持って客席に座る場合がほとんど。そんな演目での演出で、お客様のイメージから遠くはずれてしまった場合、
「うん!斬新だ」と共感を得るか、「え~!イメージに合わない!」と拒否反応を示すかは、紙一重ではないでしょうか。

さて、きょうの「フィガロ」は、幸せ色のイエローを主体としたフィガロとスザンナのお部屋で始まりました。
わくわくして見始めたのですが、2幕目あたりから、ちょっと引いてしまいました。伯爵夫人はショッキングピンクのガウン姿で登場。太股あらわにケルビーノの前で足を組みます。
告げ口男は寝室のお風呂にバッチャ~~ンと落っこちたり。。。
客席に笑いは飛んでましたが、歌い手さんも楽じゃないなぁ、と気の毒な感じがしました。バラエティ番組で熱い湯に入ったり、水をかぶせられたり、「これはイジメじゃないか?」と思えるようなシーンがテレビに映るといやーな気分になりますが、それと同じ気持ちでステージを見ていました。
フィガロの伯爵夫人に求められるのは気品です。
気品があったればこその「嘆きのアリア」、「手紙の二重唱」だと思うのです。そして、そのような気品あふれる伯爵夫人がいてこそ、伯爵が改心する場面の美しい旋律が心を打つというもの。
オペラは何も気取ったものじゃないし、ドタバタやワイワイもあっていいのですが、、要所要所に、この世的でない、ピュアな人物像があり、その人の存在と気品で圧倒されるようなところがあって欲しいと思うのです。

コメント