国立音大大学院FD

国立音楽大学声楽専攻オペラコースで行われた大学院FD、「レパートリー研究」の公開授業がオペラスタジオで行われました。

10月のオペラ「フィガロの結婚」上演に向けて、指揮の高関健先生、演出家の中村敬一先生、声楽の福井敬先生らの指導が行われており、本公演まで1ヶ月を切った最終段階の稽古を公開するものです。

一つの舞台を半年かけてじっくり学び、公演の準備をしていくその過程は、オペラ歌手となりプロの世界で生きていく上での大きな力となることでしょう。一流のプロからの指導を受け、先輩の助演に支えられ、緊張の中にも堂々とデビュー舞台を踏むことができる国立音大声楽科学生の恵まれた教育環境は、つとに知られたところです。

音楽稽古を経て、立ち稽古の仕上げの段階の今、広い空間での表現にどうつなげるのか、間をどうとるのか、厳しい指摘が続きました。

「オーケストラ(特にアレグロ)は、(歌に合わせて)動くことはできません。今、遅れた人はよく確認してください。」と高関先生。

中村先生の「気持ちは大事だけれど気持ちだけでは伝わらない」という言葉は、印象的。「ふつうの日常とは違う時間が流れるのがオペラ。その工夫が今の演技にあったか?ドラマが進行するアンサンブルになっていたのか?」

「当時の古典音楽の鉄則は、もとに戻してお客様を安心して帰すこと。平和な解決になるためには、憎んでいても憎めない何かを持っておかなければならない。今の演技は、完全に憎んでいる演技だろう。。。。」

「お客様が腑に落ちるタイミングというものがある。今の”間”は、オーケストラの上で慌てて走り過ぎた状態だ。」

「オーケストラのみんなが苦労する過程を見ながら舞台の準備をしていく経験は、この1回しかない。プロになったら当たり前にできてしまうから、そういう苦労は見ることが出来ないのだ。」

「ユーモアの語源は、human(人間)だ。人間的な行為がユーモアであることを忘れてはいけない。今の演技には、人の息遣いがあったか?」

先生方の様々なご指摘は、オペラ作曲家モーツァルトにアプローチする上で、ピアノ演奏にも通じる大きな示唆に富むものでした。

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