円熟すると言うことについて(その6)

9月11日のリサイタルでは、モーツァルトのピアノ・ソナタ 変ロ長調KV333を弾かせていただきます。私はこの曲を学生の頃から弾いてきました。コンサートでもよく弾いてきましたが、改めて今回弾いてみると、本当に充実した、素晴らしい曲だということがよくわかります。
この曲の作曲年代はよくわかっていませんが、ハ長調KV330、イ長調KV331、ヘ長調KV332とともに、モーツァルトがウィーンに移り住んだ1781年から1783年の間につくられたと考えられています。
しかし、このKV333のソナタは、ほかの3曲とはかなり作風が異なっています。KV330、KV331、KV332の3曲は、どちらかというと、サロンの雰囲気があります。仲間うちの親しげで、打ち解けた気分が感じられます。
それに対し、KV333は、リサイタルの雰囲気です。モーツァルトの時代には、今のようなピアノ・リサイタルという演奏慣行はありませんでしたが、この曲を弾いていると、モーツァルトがひとりでステージに現れ、拍手を浴びて堂々とした名人芸を披露する光景が浮かんでくるのです。
この曲は、優雅なテーマで始まり、微細な変化を伴いながら進んでいきます。その音楽は繊細でいてエネルギーがあり、同時に、押しつけがましさがなく、まるでドラマが展開されるように、説得力をもって流れていきます。一貫した音楽の流れがあります。狭い空間に置かれたピアノのすぐそばで、限られた人たちが聴いているというよりは、たくさんの聴衆が聴き耳をたて、じっと聞き入っているような音楽です。
私は、変ロ長調KV333のピアノ・ソナタは、18曲あるモーツァルトのピアノ・ソナタの最高峰に位置する作品ではないかと感じています。そこには、円熟の境地に達した天才作曲家の姿が刻印されています。
ザルツブルクに里帰りした帰路に立ち寄ったリンツで作曲されたという説を信じるなら、このときモーツァルトは27歳。
モーツァルトの人生と作品をたどっていると、ものすごく短い間に、大きく脱皮し、高みに上っていくようなところがありますが、二十代後半にさしかかったモーツァルトは、ここでも一足飛びに円熟の高みに駆け上がったのかも知れません。
それしにしてもそれは、何と早く訪れた円熟の極致であったことでしょう。

コメント