「教育実習巡回指導」に初めてお伺いしました。国立市内の中学校で、5月末から教育実習に入っているIさん。普段からとてもしっかりとしたお嬢さんですが、校長先生はじめ、担当の先生方がたくさんいらしている中で、堂々と落ち着いた授業をしていて、頼もしい限りでした。
お昼休みに校長先生から教育現場でのいろいろなお話をお伺いしたり、授業後、音楽の先生をまじえての意見交換の場を頂戴しました。
中学の音楽の授業によって「音楽が好き」、「嫌い」の分かれ道にもなることもしばしば。また中学時代の音楽部活動がその後の人生で、音楽の道に進む契機になることも多々あります。中学時代の先生の大切さをあらためて感じた次第です。音楽の授業が、知識の理解から一歩進んで感動の場となりますよう。。。と願いながら、校門を後にしました。
うん十年前、まだまだひどく未熟だった自分が母校の中学に教育実習に行ったときのことを思い出して赤面しているうちに東京駅着。丸の内駅舎は、2003年に国の重要文化財に指定されていますが、あらためて見上げるとやはり「表玄関」の風格を感じます。
東北新幹線で郡山へ。1時間40分ほどで張り子人形と案山子が迎えてくれる郡山駅に着きました。郡山は、張り子人形の里としても知られています。江戸時代から300年続く伝統工芸、温かみを感じる張り子人形です。
ほっこりした気分になり、ピアノの練習場へと向かいました。
コメント
小田川先生
感動的なコメント、ありがとうございます。
私の中学音楽体験は、合唱の伴奏でした。
大好きな音楽の先生が顧問をしておられ、伴奏が楽しくて仕方ありませんでした。もしかしたら、自分が音楽の道に進んだきっかけは、ここにあったのかもしれません。
ところで、先日来のシーボルトの初版、どうやら芸大の図書館にあるようです。引き続き調査を続けますね。
私は中学(港区立高陵)でブラス・バンド部で、お前は打楽器(!)のピアノをやっているし、リズム感が良いのでと、大太 鼓を担当しました。 その時の顧問が南保瑛(子)先生でした。 南保先生は戦後直ぐ、東京音楽学校(芸大の前身)を優秀な成績で卒業されたのです が、プロの道は選ばず、中学の音楽の先生になられました。 歌の試験の時に、生徒の声の音域に合わせて、直ぐ移調して伴奏してくれる、肌理の細かい, 心優しい、真の音楽家でした。 ただ、振る舞いの悪い生徒を大声できつく叱るので、生徒達の間では、鬼のように怖がられてましたが、私とは旨く馬が合い、先生のエレクトーンと私のピアノで、即興でモーツア ルトやシュトラウスのワルツを演奏して楽しみました。 当時私は自分のピアノを持っていなかったので、学校のピアノでコソ コソと練習してました。 私の隠れた才能?を見抜かれた南保先生は、アプライト・ピアノを一台直ぐに購入してくれました。 更に、バレエ、コンサートにもよく連れて行って頂きました。 1967年が丁度「美しく青きドナウ」の100 年祭で、私の伴奏で、中学3年生(225名)全員で歌うということになりました(当時前代未聞)。 実際に練習 を始めると、原曲のニ長調では、男女生徒には音域が高すぎて歌えず、急遽、変ロ長調に下げる必要が生じました! 本番が近づくにつれて、物理などの講義を受けている私が急に呼び出されて、何度も伴奏をしました。 音楽が本当に理解出来て、好きになるには、ただ音楽を聴くのではなく、何か楽器を自分でやってみることです。 一番手っ取り早いのが自分の楽器=声です。 歌を歌うと楽譜も”読める’”うになります。 小・中学校で沢山「歌を歌う」教育は非常に重要と考えます。www.StraussPianoEdition.com