寺内園生 「祈り」 初演

音楽文化協議会主催の「プレゼンテーション 現代の作品 その42」が杉並公会堂で行われ、私は寺内園生さんの「祈り」を初演させていただきました。
1968年に始まった「プレゼンテーション」。第42回となる今年は、初めての試みとして、西洋音楽の原点を振り返るという意味でバッハの作品も演奏されました。私は、バッハの四重唱に続いての出番。舞台袖でバッハを聴き、心が落ち着いたこともあり、寺内さんの新曲、「祈り」の世界にすっと入っていくことができたように思えます。
作品が出来上がるのが本番数日前というのは、現代作品にはよくあることです。けれど、そのときには、作曲家の心には全体像が出来上がっていますので、「この音は天に向かって登っていくように」「ここは強いけれども悲しみを秘めた音で」と理想の音世界が、こまかく演奏者に要求されます。
奏者としての準備期間が短い中で、どれだけ そのイメージに近づけるか・・・というのが現代音楽の初演で求められる才能かもしれません。初演の依頼が入るのは、半年以上前ですので、その日のスケジュールが空いているのを確認してお受けしてしまうのですが、あとでたいていタイトな状況になるのが毎回のこと・・・。でも、これまで弾いたことのない、生まれたばかりの作品を演奏できるわくわくするような喜びは、コンテンポラリーの醍醐味です。
そして作曲家ご本人とのやりとりは、古典を学んだり、楽譜を読み解く力をつけたり、イマジネーションを広げるための貴重な経験でもあります。今回も作曲の契機やイメージのもととなった彫刻ミケランジェロの「ロンダニーにのピエタ」、マザー・テレサの祈る姿、蒼い閃光などのお話を直接伺ったりする中で、曲の全体像を結んでいくことができました。
過去の作曲家が残した楽譜からその「心」を読み解くのが再現芸術家の使命だとすると、その逆に、作曲家は「心」を音楽として創作し、楽譜という記号に表すのが仕事です。「心」をどうやって音符にしていこうか・・・と、そのもがき苦しむ過程を共有させていただくことにより、音符に表せることと表せないことの両方を知ることにもつながります。歴史的楽器で古典を弾き、現代ピアノで現代作品を演奏する、どちらも私にとって大切な時間であることを実感しました。
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以前、日フィルさんとの合わせで来て以来、久しぶりの杉並公会堂。心を素にして向きあいたい曲でもありましたので、リハーサルの合い間にホールの外に出てリラックスタイム。
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ホールの前には、見事な杉の木が!さすが「杉並区」です。
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現代音楽の演奏会の雰囲気は多種多様。客席にほとんどお客様がおられないようなコンサートもありますが、今夜は満員御礼!しわぶきひとつない静謐な空気と集中力が客席に漲っていました。演奏後、「祈り」の作曲家の寺内さんをステージにお呼びし、大きな拍手をいただきました。
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