バッハから歌謡曲まで・・・。

朝日カルチャーセンター新宿で開催されました礒山雅先生によるレクチャーコンサートに、バリトンの田中純さんとともに出演させていただきました。

「名バリトンは何でも歌う」というタイトルどおり、バッハから歌謡曲までという多彩なプログラム。
バッハ〈ゴールドベルク変奏曲〉のアリア(ピアノ独奏)に始まり、井上陽水の「少年時代」まで、”濃い90分”となりました。

バッハのカンタータ第82番「まどろめ、疲れた眼よ」は、人気の高いカンタータの一つですが、その前のレチタティーヴォは「Ich habe genug.」で始まります。「我は足れり」と訳されることがほとんどですが、東川清一先生は「私はもう結構」と訳されています。何に結構かというと、この世に対して、もう結構!ということなのです。

続くアリアで「この世にいては不幸を重ねるばかり。あの世に行けば、かぐわしい平和と静かな安らぎを見ることができる」という歌詞が続きます。神のもとへ行くことへの憧れが、子守歌のような静謐な音楽とともに謳いあげられる美しいアリアです。

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早速、リハーサルで礒山先生からダメだしが・・・。「貴女の音には、まだエネルギーと生命力がありすぎる!」
本番では、田中さんの”言葉”に、疲れ果てた音と内面的な集中力で寄り添いました。

第2部はドイツリート。モーツァルト:クローエに、シューベルト:セレナード、シューマン:献呈、シュトラウス:万霊節と様々な”愛の歌”が続きます。

そして第3部はワーグナー。「巡礼の合唱」をソロで弾いた後、〈ニュルンベルクのマイスタージンガー〉より「にわとこのモノローグ」を。お料理で言えば、ここがメインディッシュという感じでしょうか。

そのあと、日本歌曲、そして歌謡曲が続き会場は大いに盛り上がりました。「南の薔薇」も「少年時代」も客席の皆様のほうがお詳しかったかもしれません。

「バッハと歌謡曲では、歌うとき何が違うんですか?」という質問に対し、田中さんは「バッハは節度の中に感情があり、その制約の中で言葉を第一義に表現している。歌謡曲になるともっと感情を全面に開放してるんです。だから歌謡曲を歌ったあとにバッハは歌えません。」ときっぱり。フルコースを全身全霊で歌い終え、「我は足れり(もう結構!)」というお気持ちだったかも?!

いずれにしましてもドイツ語、日本語、と言葉が違っても、そして時代や様式が変わっても「歌」の持つ力の大きさは変わらないことをあらためて感じた90分でした。

朝日カルチャーセンター新宿では、このフロアからの引っ越しを明日に控え、このお教室での「ラスト・コンサート」となりました。

朝日カルチャー0930

徳島からいらしてくださった戸井正則さんや数名の受講生の方と記念撮影。打ち上げのワインで疲れを吹き飛ばし、皆で明日のコンサートに備えました。

コメント

  1. yuko より:

    青春24きっぷ様
    コメントありがとうございます!
    言葉が音楽と合体することで、力が何倍にも増幅するのは不思議ですね。
    けれど、
    万霊節、冒頭のピアノ前奏の和音で感動涙された礒山先生がピアノの前にいらして、楽譜をご覧にらなられ「特別なハーモニーでもなんでもなく普通の一度の和音なのに、何故だろう?」と。
    きっと歌が始まる前に、すでに歌の言葉が礒山先生の耳には響き始めておられたのかもしれませんね。

  2. 青春24きっぷ より:

    先日の「たのくら」例会でも礒山先生からお話を伺っており、このブログを拝見しております。
    盛り沢山とだけ思って話を聞いていましたが、言葉と音楽の関係を探求されている礒山先生ならではの本当に”濃い”プログラムだったのですね。
    何年か前の大みそかの日にフォルテピアノでの、田中さんの「冬の旅」を聴いていまして、深くスケールの大きな歌唱に大変感動したものですから、バッハの82番、とても素晴らしかったと想像しています。「バッハは節度の中に感情があり・・・」と言う言葉、何度も読み返してしまいました。
    「万霊節」、これを聴くと涙が出ずにはいられない、とご本人が言っていたことがあったのですが・・・。礒山先生です。
    久元先生の「巡礼の合唱」のピアノ演奏、一年余り前に「たのくらコンサート」で、引き込まれて聴いたのを思い出しております。
    長文失礼しました。