今年9月5日に、西宮高校音楽科にお伺いし、公開講座と公開レッスンをさせていただきました。その折「質問コーナー」を設けるように、というリクエストをいただきました。「いまどきの生徒さんたちは、あまり質問しませんが、1つか2つくらいは出ると思いますからそのときは答えてください。」とのことでした。
ところが、なんと30以上の質問をいただき、3つほど答えたところで時間切れとなってしまったのです。あの日以来、講座での質問コーナーを最後だけではなく最初にも設けることにしました。
せっかく熱心な音楽科の生徒さんたちが下さったたくさんの質問用紙。「いつか時間のあるときにブログのコーナーでご紹介して私なりにお返事を書いていきますね。」と約束してお別れした次第です。
というわけで、秋のコンサートシーズンが終わり、ちょっと一息ついた今、約束したお返事、少しずつ書かせていただきます。
Mさんの質問
「よく、フレーズが感じられていないと言われます。どうやったら感じることができますか。」
まず何か、好きな歌の譜面を見てみてください。歌うとき、どこまで一息で歌うか、歌詞を見るとおのずと答えが見つかりますね。実際に歌ってみるのもいいでしょう。いくら肺活量のある人でも?!一息で歌える長さというのはあるはずです。ピアノには、言葉はついていませんが、もしも言葉がついているとしたら・・・と思って楽譜を読んでみましょう。
旋律を見て「息だとしたら、ここまで一息で歌う」とか「言葉がついているとしたら、ここまでが一つの文章」と感じれる場所があるはずです。ショパンやシューマンなどは、フレーズのスラーを書いてくれていますので、大いに参考になりますね。
スラーを書いてくれていない作曲家の曲の場合は、フレーズを見つけながら、 , (カンマ)を打ってみてください。自分が一息で歌う個所まで、そして息を継ぐときのカンマです。
朗読する人は、ずっと息を継がずに朗読することはできませんから、このカンマを打つ作業を最初に行います。
ピアノは息の制約なしに弾くことができますが、フレーズ感のある演奏をするためには、息だったらどこまで一息でいけるか、を感じることで「フレーズ感のある演奏」になるのです。
歌や朗読の人の「息」は、ピアノにとっては「重さ」です。ピアノにとって重さを鍵盤に伝える動作、重さを抜く行為は、手首の上下で決まります。手首を下げて重さを入れ、手首を上げて重さを抜くのです。
ですから、むやみやたらと手首を上下させる演奏というのは、息継ぎばかりをパクパクしている歌唱と同じということになり、音楽の流れも細切れになってしまいます。
そしてフレーズの最後は、息を抜く音ですので、ドカンとした重い音にならないよう注意しましょう。
フレーズがどの音から始まり、どの音で終わるか。フレーズの中で最も重い音はどこか、高く盛り上がるのはどこか、を楽譜から読み取るのです。
歌を勉強すると、そういう意識が備わってきます。ですから歌うようなピアノ、フレーズ感のある演奏のためには、歌をたくさん聴いて歌い手さんから学んだり、伴奏するチャンスを見つけて一緒に心の中で歌いながら弾いたり、実際に自分でも歌ってみたり、、、という経験を積みなさねることで、きっと「フレーズが感じられる演奏」につながっていくのではないでしょうか。
私は高校生のときドイツリートが大好きになりました。シューベルト、シューマン、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスなどの歌曲に痺れたり、涙したり・・・。そんな感動が、ピアノで歌を歌いたい、という気持ちに繋がっていったように思っています。
心の柔らかな高校生のとき、たくさんのいい歌を聴いて、心の中に刻んでいってくださいね。きっと自然に、Mさんの演奏が「フレーズが感じられる演奏」になっていることでしょう。
コメント
Kiri様
コメントありがとうございます。
語るように、謳うように、遊ぶようにピアノを弾けるようになりたいと常々思っています。
西宮高校の皆さんは、真摯に音楽に向き合い、深い質問が多く、感銘を受けました。
示唆に富む素敵なお記事をありがとうございます。
そうでしたか、やはり器楽曲でさえ、その芽は人が唄う
歌にあったのですね。
楽器も、音階も。楽譜もない太古の人々が最初に唄った
歌とは、いったいどのようなものだったのでしょう。
おそらく、恋人や子への愛を、相手の目を見つめながら、
心底から吐露したいと感じたとき、その発する言葉は、
強調された抑揚を伴った歌の原型であったのではないで
しょうか。
日本の七五調も。西洋のさまざまな韻律も、結局は
人の話し言葉の息継ぎが基本になっているのでしょう。
このお記事を拝読し、音楽も文学も、根っこは同じ、
ともに人の話し言葉だったのだと、今更のように感じた
次第です。