サー・アンドラ―シュ・シフ@オペラシティー

一昨日、立川での演奏会を終え、神戸に。昨日は神戸でのガイダンスとコンサートを終え大阪に。今日は、ヤマハ大阪なんば店サロンで講座「リストとベーゼンドルファー」をさせていただいた後、新幹線で東京へ。
オペラシティーに直行し、アンドラ―シュ・シフの演奏会を聴くことができました。
「本公演は出演者の希望により休憩はございません。開演後のご入場の際は、購入されましたお席へのご案内が難しい場合がございます。時間には余裕を持ってご来場ください。 」というKAJIMOTOさんの注意書き。
「余裕を持って来ること!」は、遠路からオペラシティ入りする者にとって、ちょっぴり緊張するものでした。
ウィーンで活躍した4人の大作曲家の最晩年、最後のソナタを聴く、という夕べ。
・モーツァルト:ピアノソナタ第18(17)番ニ長調 K576
・シューベルト:ピアノソナタ第21番変ロ長調 D960
・ハイドン:ピアノソナタ第62番変ホ長調 Hob.XVI:52
・ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番ハ短調 op.111
シフ氏に、「サー」の称号が付いたのが、いつからなのかは存じ上げないのですが、
まさに巨匠と呼ぶに相応しい演奏でした。
晩年のモーツァルトにとり、対位法がいかに大きな要素であったかが音符の一つ一つ、フレーズの始まりと終わりすべてから伝わってきました。
シューベルトではシフの肉体を通じてシューベルト自身が語っているかのように感じ、旋律を慈しむような愛情あふれた「音楽」でした。
ハイドンの構築力も見事。ピアノから立ってお辞儀をして歩き出すとき、物理学者か宇宙人に見えてしまう・・・。ずば抜けた知性、記憶力、自然な奏法、どこにも無駄な力を入れず、集中力の糸を切らさない。
まさに人間業を超えた偉業の域に行っているのですが、あくまで「好きで弾いています」というスタンス以外のものが見えてこないピュアな精神が、シフの魅力でしょう。
もしも、「無理にでも何か不満を述べよ」と言われれば、ベートーヴェンかもしれません。すべての音が美しく、破たんはなく、決して荒げた音や軋みや叫びは起きず、「減七の和音」の不安は不安として美しく奏で、フォルテの叫びは、美しい強音として豊かに鳴り、バランスもコントロールも響きの点でも文句がないのですが、それらをぶち壊し、突き破ったところにある「何か」をベートーヴェン演奏に望んでしまうのは、私だけでしょうか。
弾き終わってその場で倒れてしまうような格闘、苦しみ、もがきとは全く無縁の「音楽は素晴らしい」という平和の世界、美しいものを愛でる幸せで満ちたりたベートーヴェンでした。
大曲4曲を一気に休憩なしで弾いたあと、さらに信じられない数のアンコールを!!!
・J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988 から「アリア」
・J.S.バッハ:パルティータ第1番 BWV825 から「メヌエット、ジーグ」
・ブラームス:インテルメッツォ 変ホ長調 op.117-1
・バルトーク:「子供のために」から「豚飼いの踊り」
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16(15)番 ハ長調 K545から 第1楽章
・シューベルト:即興曲 変ホ長調 D899-2
・シューマン:「子供のためのアルバム」op.68 から「楽しき農夫」
おそらく、まだまだ弾き続けることができると思われます。精神、身体、頭脳、すべてにおいて、余裕のうちに始まり、余裕のうちに終わった巨匠の演奏会でした。
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私が今年1月にニューイヤーコンサートでウィーン・サロンオーケストラと共演させていただいたときと同一楽器(ベーゼンドルファーのモデル280VC)を使用しての演奏会。鍵盤のタッチなどを指先で思い出しながら、遠い2階席から臨場感を持っての「シフ体験」でした。

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