ヘルダーの言語起源論

数ある私の弱点の中でも、最も重症なのが「方向音痴」。自身で自覚していますので、初めての場所に行くときには、迷ってもいいように、必ず早めに出るようにしています。
先日も担当学生の教育実習巡回指導のため、早朝から南武線、小田急線を乗り継ぎ、目的の高校まで早めの到着を目指して出かけました。ところが、よくあることなのですが、事故やトラブルを想定して早めに出ると、何事も起こらず開始時間より1時間も早く最寄り駅に着いてしまったのです。
喫茶店でもあれば優雅に珈琲の一杯でも。。。というところなのですが、駅の回りを見渡しても布団屋さんと不動産屋さんしかありません。仕方なくゆっくり歩いて雲を眺め、風を感じ、道端に揺れる草を見たりして公園のベンチに腰掛け、ほっと一息。
温かな日差しの中、ベンチで1時間の読書を決め込み、この秋出版されたばかりのヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの「言語起源論」(講談社学術文庫)のページをめくり始めました。訳者は、国立音大の同僚でドイツ語圏の言語論をご専門にしておられる宮谷尚実先生。初めての自筆草稿に基づく新訳が完成!という快挙です。
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読んでいるうちに、文章に絡めとられるように没頭してしまい、危うく時間を忘れてしまうところでした。手のひらに収まる小さな文庫本の中に、人間とはいかなる存在か?という壮大な学問と思想が詰まっており、あらためて人間が発明した「言葉」の起源に思いを馳せる時間となりました
「人間が人間であるのと同じように、言語の発明も人間にとっては自然なこと。」
それまでの神を中心とする言説に対し、人間を中心とする言説を展開していき、人間を人間たらしめている「言語」が、「理性」や「思慮深さ」によって形成されていった過程が示されていきます。
深い内容で、私の頭では、すいすい読むというわけにはいきませんが、音楽に通じることが多く書かれており、興味深く拝読しました。
たとえば「おぉ!」という音声は、感嘆詞として書き綴られるとき、様々な感情が同一の表現となる、と述べられていますが、これは、音符にも言えること。同じ「ラ」の音符であっても、どのような感情なのかを読み解くのかが演奏者に求められてきます。”文脈”によって、突如とした喜びなのか、突発的な怒りの迸りを表すのか、高まりゆく感嘆か、あるいは胸にこみあげる悲嘆の表現か。。。それによって音色の表現は全く変えなければなりません。
訳者の宮谷先生は、優れた研究者としてだけでなく、学生からも慕われている素敵な女性です。「あとがき」からは、ベルリンの図書館で、毎日ヘルダーの手稿に向き合っておられたチャーミングな宮谷先生の姿が目に浮かぶようです。

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