ゴールドベルク変奏曲

先日、山田剛史先生の「バッハのゴールドベルク変奏曲」~30の変奏からなる小宇宙~レクチャーコンサート(7月21日、東邦音楽大学エクステンションセンター)を拝聴しました。

レクチャーコンサートは初めての経験!と仰る山田先生でしたが、とても初めてとは思えぬ落ち着いた口調と説得力のある解説、かつ後半に集中力と体力を要する「ゴールドベルク変奏曲」を暗譜で演奏。山田先生のこの曲に対する「愛」を感じるレクチャー・コンサートでした。

20年がかりで取り組んでこられたとのことですが、現代ピアノでこの曲を弾く意義は何のか、という疑問を長年持っておられ、それに対する答えがようやく出てきたそうです。

この曲は、バッハの原典版以外にも様々なアプローチが行われてきました。ラインベルガー&レーガーによる ”2台ピアノ編曲”、ブゾーニ編曲版などこの曲に魅せられたピアニスト達によって演奏されていますし、さらには、ギター版、弦楽合奏版、ジャズ風アレンジなども登場。

バッハの原点に立ち返るという意味では、2段チェンバロで弾くのが最もバッハ時代の音楽なわけですが、時代を超えて、かつ楽器をも超えて永遠の芸術性を獲得した名曲が他の楽器によっても演奏されることは自然な流れと言えるかもしれません。

チェンバロのための音楽をピアノで弾く場合、無機質なノンレガートですべての音を処理してしまうのは愚の骨頂。けれど残響の豊かな現代ピアノで歌うように演奏するとき、アーティキュレーションが明解に聞こえるためにはかなりの技術と意志を要します。

自分では切れているつもりでも、録音を聴くと響きが「繋がっている」ときがしばしば。そしてこの宇宙に、現代ピアノを使って感情過多で取り組んでしまい、表層と劇的効果に酔ってテンポの保持から逸脱してしまった演奏は、本人の満足度と達成感とは裏腹に、聴いているほうが嫌気がさしてしまいます。

そういう意味で、知、情、技、意の4拍子が揃ったグレン・グールドはやはり天才!だと思うのです。

今、2段チェンバロを使ってこの曲に取り組んでいます。20歳の頃、芸大で山田貢先生に手ほどきしていただいたチェンバロとの出会いは、貴重なものでした。毎週のチェンバロのレッスンでバッハを持っていくときのワクワクした気持ちを、折に触れ思い出します。

弦を打つのではなく「はじく」楽器から生まれる雅な響きに、時空を漂うような感覚を覚えた瞬間が、バロックへの扉を開いてくれたのかもしれません。

それにしても14歳のゴールドベルク少年の演奏、実際はどんなだったのでしょうか?!
難解な対位法が駆使されたヴァリエーションの音符を見ながら。。。想像しています。

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