Hakuju ホールで開催されました第7回日本バッハコンクール全国大会。審査員として参加者のみなさんのBACHを聴かせていただき、夜8時の表彰式までBACH尽くしの一日となりました。
朝9時、Hakujuホール到着。今日の熱演に備え、調律の真っ最中。
Hakujuホールは残響が長く、参加者の皆さんの演奏が、客席にかなりマイルドな響きとして聴こえてきました。審査員には出演番号と曲目以外、一切知らされておらず、当然ながら常に公平な審査が課せられています。
先月の後半から、大学でも試験シーズンで、ずっと演奏に点数をつける日々が続いています。音楽は競争ではありませんから、点数や成績をつけることは本意ではないのですが、コンクールという場をモーティベーションに頑張ってこられた参加者の皆さんのさらなる飛躍を願って、点数とともに寸評を書かせていただきました。
一日中、薄暗いホールで、ボードを使って書いていくため、夜になるとちょっと首が痛くなりましたが、それでも聴くこと自体は、全く疲れることがなく、むしろ時間が短く感じられるのは、BACH だからでしょう。パルティータ、平均律、イギリス組曲、幻想曲とフーガ、次から次に現れる曲、どれをとっても完璧な音楽です。
飽きることがない無限の宇宙であるBACH作品の偉大さを再認識しました。
上の写真は、途中休憩での審査員室です。杉本安子先生、秋山徹也先生、日下部満三先生、湯口美和先生とご一緒させていただきました。福田専務理事(向かって左)のお話では、様々なコンペティションがある中で、バッハコンクールの審査が一番点数が割れるのだそうです。それぞれの審査員の解釈の違い、音楽観の違いが最も出るのがバッハ。エディション(楽譜の版)、アーティキュレーション(音の区分法)、さらにはバッハが書いていないデュナーミク(強弱)についての意見は、全員一致ということはまずないからです。
いずれにせよ、舞台で最初のテーマを始めた瞬間から、年齢、性別に関係なく、演奏者の「根っこ」の部分が見えるのがBACH。一朝一夕で「葉」を茂らせ「花」を綺麗に咲かせることができない作曲家と言えましょう。無駄な音がなく、研ぎ澄まされているのに、大きな包容力があり、聴く人を包み込む愛に満ち溢れています。祈りと救済が伝わり、コンクールであることを忘れ、感動する瞬間が何度かありました。
と同時に、個人的な感情や趣味を前面に押し出し、アゴーギクを掛け過ぎてバランスが崩れると、すぐさま構築したものが崩壊してしまう恐ろしさも持ち合わせた音楽です。タイミングが0.01秒ずれただけで大事故に繋がってしまうため、精神力と集中力の鍛錬でもあり、すぐれたバッハの作品を弾くことは、音楽を奏でる喜びと厳しさを知ることでもあります。
旧約聖書にもたとえられるバッハ。私自身、謙虚にバッハに向きあい続けたい・・・と、あらためて思った一日でした。
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