国立音大・公開レッスン

今日は、出講日ではなかったのですが、自分の練習を終え、夕方から国立音大の2つの公開レッスンを聴講しました。

どちらも密度の濃いもので、梯子しなくて良いスケジュールだとうれしいのですが、2つとも聞き逃したくないものだったので、1つ目の最後の30分をあきらめ、2つ目の最初30分をあきらめ、という感じでした。

4時半から始まったダン・タイ・ソン先生の公開レッスン。講堂は満員の人気です。
ドビュッシーの練習曲とリストのダンテソナタというプログラム。

ピアノをオーケストラ的に駆使し楽器の可能性を広げたリスト。
ピアノの新しい世界を築いたドビュッシー。
どちらもピアノ史の中で重要人物です。

真面目に準備し練習を積んできた2人の学生さんに対し、ひとつ上の要求水準を出し、更なる芸術的な演奏に引き上げていかれました。
ドビュッシーの持つエスプリ、リストの持つ悪魔性、これらを表現するのは、学生にとって至難の業ですが、ソン先生の具体的、かつユーモアに富んだ言葉で、学生さん2人の奏でる作曲家像がより魅力的になりました。

6時半からダッシュで別の校舎に走り、ジョシュア・リフキン氏のバッハ:マタイ受難曲の公開レッスン。1週間後の本番前の声楽陣へのアドバイス。
公開リハーサルを見学させていただいているような臨場感のあるものでした。

「バッハは、テンポ表示を書いていない曲が多いが、それは、テンポに関して自由ということを意味しない。むしろバッハのテンポは、拍子によってかなりの程度、規定されている。4分の4は、テンポオーディナリ(普通のテンポ、速すぎもせずゆっくりすぎもしないテンポ)を意味し、2分の2は、それよりもテンポが速くなる」

「変化させることを恐れてはならない。やりすぎを恐れてはならない。」

「あなたは、たしかに上手に歌っていたけれど、歌うことを楽しんでいましたか?受難曲を楽しむというのは、おかしいかもしれないけれど、音楽を楽しむということが基本なのです」

「バッハは、言葉にあった音楽を書いている。”甘い”という言葉では、本当に甘いハーモニーが使われているし、苦しい場面では苦痛に満ちた響きが使われる。声のトーン、音色もそれに合致していなくてはならない」
などなど。

声楽家のみならず、ピアノ弾きにとっても多くの示唆に富む素晴らしいレッスンでした。

コメント

  1. ひひ より:

    ご返信ありがとうございます。
    実は昨日ですが、グールドのモーツァルトピアノソナタ集を購入しました。まだ全部は聞けていないのですが、冒頭のK.310イ短調ソナタは衝撃的でした。
    これを聞いてから、このコメントを読ませていただいていますので、上記の「ただモーツァルト・・・」以降の文章の意味が何となくわかった気がします。
    私も、ピリスやバレンボイムといった巨匠の演奏をCDで聞いていましたので、そちらの表現のほうが自然のような感じはします。
    でも、グールドのモーツァルトも非常に興味深く、聞く方からすると楽しくて仕方ありません。
    個人的な趣味というのも、すごく理解できました。
    ありがとうございます。

  2. yuko_hisamoto より:

    コメントありがとうございます
    グールドには、DVDでもCDでも衝撃を受けました。常識という枠を超え、楽器からの制限も超え、超人的なテクニックと斬新な解釈で音楽を斬っていくその姿勢には、脱帽!です。特にバッハ、そしてリヒャルトシュトラウスなどにおける彼の演奏が好きです。
    こうあらねばならない、というような概念を打ち破る勇気と変化を恐れない自信、これは演奏家にとっての理想の姿勢です。
    ただモーツァルトに関しては、冒険心や生き生きとした感性の面では、素晴らしいと思うのですが、音楽をいったん解体して再構成する段階でシンプルな”歌心”が遠のいてしまうような感じがしてなじめません。
    これは、個人的な趣味だと思うのですが・・・。

  3. ひひ より:

    ここに書き込みをしていいのかわからないのですが、勇気を出して書き込んで見ます。久元さんのHPとブログは以前から拝見していました。僕は趣味で音楽を聴く程度なので、こういった話はほとんど知らないため、案外面白く読ませていただいています。(例えば試験問題とか。答えも書いてあるので背景がよくわかる感じがします)
    バッハは僕の大好きな作曲家の一人で、よく聞いています。このブログの中で
    「変化させることを恐れてはならない。やりすぎを恐れてはならない。」
    と書かれています。実は僕にとって非常に衝撃的な演奏を最近CDで購入しました。グールドの「ゴルドベルグ変奏曲」の55年録音版です。81年版は以前から聞いていましたので、知っていましたが、この55年は正しく上記の言葉のように感じます。それからたくさんのグールドの演奏を聞いていますが、どれも、衝撃的です。特にインヴェンションとシンフォニア、フーガの技法(オルガンとピアノのコントラプンクトゥス1番、2番の聴き比べ)は、それまでの僕が持っていたバッハの概念を根本から砕いてしまいました。
    これからも、どんどん新しい演奏家が、バッハに限らず、たくさんの作品に新しい息吹を吹き込むんでしょうね。とても楽しみです。