自筆譜に見る息遣い

今日は、ベーゼンドルファー・インペリアルで、あらためて自筆譜に向き合いながらモーツァルトを弾きました。

普段忙しいときには、使い慣れている原典版で弾くことがほとんど。自分の指使い、そしてかつてイエルク・デームス先生、松浦豊明先生、クラウス・シルテ先生らから教えをいただいたときの書き込みなども書かれていて、ボロボロになっています。iPadに譜面をダウンロードして使っている同僚もいて「祐ちゃん、ボロボロ過ぎるよ!便利だからipad楽譜を使ったほうがいいよ!」と勧められるのですが、どうしても紙の楽譜が手放せない私です。

今日は、久しぶりに、ボロボロの使い古しの楽譜でなく、大事に愛蔵している「自筆譜ファクシミリ」を見ながら弾いてみました。
モーツァルトのKV457とKV475の自筆譜がフィラデルフィアで発見されたのが、1990年。同年、ロンドンのサザビーズオークションで約2億3000万円で落札され、その直後に出た普及版ファクシミリです。

コンコンと湧き出る泉の音がしてくるかのような、流れるようなモーツァルトの筆跡。頭の中に、すでに音楽があり、書くのももどかしくペンを走らせていたのが窺えます。そして当時は、インクが貴重な時代ですから、同じことを繰り返すときには、「同じように」と記したあと、省略して書かれているのが普通です。
ピアノ協奏曲にしても、ソナタにしても、紙の節約、インクの節約、(そして時間の節約)のためでしょう。

ところが、です。今日じいっと見ていてふと気づいたのは、右手と左手の両方にフォルテの記号を書いていることが多いのです。
現代の印刷楽譜では、左右どちらもフォルテのときには、大譜表の中ほどに Fの文字をすっきり書くように統一されているのですが、
インク節約のモーツァルト時代なのに、右手パート、左手パート、それぞれにご丁寧にデュナーミク記号が書かれているのです。

モーツァルトはオペラやシンフォニーの楽譜を書く際、パートごとにデュナーミク(強弱)を書く習慣があったからなのでしょうか。
もしかすると、ピアノの曲を作るときにも、頭の中で高音パート、低音パート、と分けて、それぞれに鳴らしていたのかもしれません。

その自筆譜を見ながら弾くと、両手の塊の音ではなく、各パートの音として目からインプットされ、立体的な造形が浮かび上がるのが、不思議です。
作曲家の息遣いが隠された自筆譜は、いろいろなことを教えてくれる「紙」であることを実感しました。

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