池内紀訳・カフカ『ミレナへの手紙』

世の中の連休に反して、土曜日は試験審査、日曜日はコンサート、月曜日は祝日授業ということで休止符なしの毎日が続きます。
授業と会議のあと、延期されていた去年の演奏会の打ち上げに参加。
夜中に帰宅し、カフカの『ミレナへの手紙』を読みました。
池内紀先生が5年を費やし、訳された新編集です。

カフカには、手紙に日付を入れる習慣がなかったそうです。
曜日のみしか書かなかったカフカの手紙 ― その手紙の順番や紙とインクの研究、伝記的事実との照合などで、カフカの生涯が一日刻みで究明されていきました。

sie で始まる最初の頃、そして du になり、新密度を増し、恋は、クライマックスを迎え、やがて別離へと向かっていく・・・その過程が、手紙文学になっています。

ミレナがカフカの手紙をとっておき、それを編集者に渡したために、後世の私たちは読むことができるわけですが、ミレナからカフカに送られた手紙は、一切残っていません。
おそらくカフカがすべて焼却処分してしまったのでしょう。

読み始めると、カフカのこの手紙に対してミレナはなんと言ってきたのか、ミレナのどういう手紙によってカフカのこういう反応になるのか・・・が見えず、もどかしく、また、苛立ちを覚え、両方残っていないことに対するアンフェアな感覚もおきました。
ところが、読み進めるうちに、ミレナの手紙がないことによって、逆に想像が掻き立てられていくのを感じました。

池内先生の名訳は、この二人の力関係、距離感の移りゆきを、カフカの言葉の変化によって浮き彫りにし、あっという間に完読。

装丁もカフカのイメージにびったりの、白地に墨色のサイン。愛の手紙を表す、赤いタイトルと帯。

元カレからの手紙をとっていたミレナ、元カノの手紙を捨てたカフカ。
作家などの場合、公開を前提に手紙を書き、写しもとっている場合もあるそうですが、カフカの場合はそうではありませんでした。
一流の研究者によって詳細に人生が分析され、一流の訳者によって世界に広まる自分の手紙。
天国のカフカも、ことのなりゆきに驚いているかもしれません。

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