自然の恵みと自然の恐怖

20日早朝、「一番星育成事業」2回目の公開レッスンのため新潟・燕三条に移動。
将来、音楽の道を志そうという子供たちがそれぞれ懸命に努力した跡が見え、大きな一歩を感じました。

そんな中、広島市の土砂災害のニュースが入りました。胸が塞ぐ思いで言葉もありません。

心からお見舞いを申し上げます。

一夜明けた今朝、テレビをつけると、天皇皇后両陛下が軽井沢でのご静養を中止されたこと、そして新潟からも土砂災害の救助隊が出発したニュースが流れ、今もなお続いている自衛隊のみなさんの懸命な救助活動の様子が写しだされました。

三条は、もともと3つの川という意味だそうで、川が複数重なってたびたび氾濫し、大きな被害が続いていたそうです。三条市の方のお話では、廃藩置県の前年、1870年(明治3年)に大規模な分水工事が行われ、その後も洪水や地すべりが起こるたび、補強工事が繰り返されているとのことでした。

晴れた日の美しい信濃川を見ていると、恐ろしく変貌する姿は想像がつきません。
そして豊かな水が私たちにもたらしてくれる恵みは、はかりしれません。
けれど、その想像を絶するような自然の驚異により、一瞬にして全てが破壊されてしまう可能性を常に
持っているということをあらためて感じます。

神戸市の六甲山系でも多くの土砂災害を経験しており、各区ごとに洪水ハザードマップが作成され、砂防ダム、防災林の整備などが行われ、災害予防対策がとられてきています。大雨が降るたび「待機」し、非常時に備える主人を見ていますと、気が休まる瞬間がない行政の仕事の大変さが伝わります。

東日本大震災のときも、第一報を受けてから不眠不休で被災地と頻繁に連絡をとり、被災された方がきちんと行政サービスを受けられるようにするための法律改正を行ったり、各地の役所の機能を再開するために奔走したり、本省や自治体から人材を派遣したり、、、使命感に突き動かされるようにして仕事をしていた主人の姿が思い出されます。それでもなお、人の予想を超え、人の力をはるかに超えた膨大な災害に対し、充分とは言えず、苦しむ毎日でした。

それぞれの分野で、それぞれのプロフェッショナルが人事を尽くすとともに、人の力が及ばない自然の災害に対して、人が何をできるのか、そして被害を最小限に抑えるために、人はどうしたらよいのか、この問いかけに、一人一人が常に備えておく必要があると思うのです。

コメント

  1. yuko より:

    桑山様
    本当に、災害の多い年で、気持ちが滅入ります。山の神様がお鎮まり下さるよう、祈っておりますところです。

  2. 桑山 より:

    人が生きていくのに、水と火と電気は無くてはならない時代になっているが、人間がコントロールをしているつもりが出きていない。1番、安全策を施したはずの原子力も危ない。火も時々しくじって、被害者が出る、1番安全そうで油断している水は、自然の力が1番怖い、最近は、ノアの方舟は現実の話かと思わされるこのごろ。