ショパン:葬送ソナタについて

国立音大では、今年から、4年生ピアノ科ソリストコースの5人を対象にした「作曲家と作品分析」も担当させていただいています。
男子1人、女子4人。
ピアノに向かう真摯な姿勢は共通していても、それぞれまったく違う個性の5人です。
それなのに、互いにとても仲がよく、まるで兄弟姉妹を見ているような家族的な雰囲気です。
昨年はショパンの前の時代で終わった、とのことでしたので、私が担当する今年はショパンから始めることにしました。

今日は、ショパンのピアノ・ソナタ第2番「葬送」。
エディションによる違いやショパンの語法、そしてロマン派の時代におけるソナタ形式の扱いについて、またこの曲のもつ「葬送」の意味などを楽譜を紐解きながら解剖していきました。
一見、第2主題から再現しているように見えて、実は、左手のベースで第1主題を再現させていたり、ロマン派の「形式」と和声を見破るのはなかなか一筋縄ではいかないところがあります。
すっきりとした形式美が体現された古典派のソナタの時代から、境目がぼかされ、感情は形式を超えて流れていくかのようです。

ベートーヴェンの「葬送」ソナタとも比べながら、ショパンの音楽観、人生観、独特の個性について考えました。
それにしても、ベートーヴェンとショパンの「葬送」ソナタは、何と違っていることでしょう。
ショパンの葬送行進曲のテーマは、深く沈んで行くかのような痛切な悲劇性がありますが、ベートーヴェンの葬送行進曲は、悲しみに満ちているものの、荘重で堂々としています。
力強い英雄の死というイメージです。
そして、ショパンの中間部は、現世を追憶するかのような透明な美しさに満ちていますが、ベートーヴェンの方は、打ち鳴らされる太鼓の連打、英雄の死を悼む号砲など、荘重な魂の高揚を歌い上げます。
しかし、そのような部分的な違い以上に異なっているのが、第3楽章から第4楽章にかけての音楽の流れでしょう。
ベートーヴェンでは、幸福への問いかけとも言うべきテーマが、次第にエネルギーを得て発展していきます。そして悲劇的なエピソードを克服しつつ、ドイツの田園に降る雨があらゆる悲しみを洗い流し、やがて射してきた陽の光に梢の雨滴が照らされてきらきらと輝くかのように、まばゆい明るさの中で曲を閉じます。
ショパンは、ひたすら虚無に向かって後退していきます。

これは私のイメージですが、この授業では、単なる「理論」にとどまらず、それをどう実際の演奏に生かしていくか、ということについてみんなで議論していきたいと思っています。
これから私も含め?!6人所帯で、現代曲に至るまで、さまざまな曲にアプローチしていく予定です。

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