中田喜直の歌曲

毎年恒例、秋のセレモア・チャリティコンサート。
モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」のリスト編曲版で静かに始めさせていただきました。
同じくリスト編曲による「献呈」に続き、
ソプラノの山崎法子さんの登場。
今日は、中田喜直(1923 – 2000)の作品を中心に、次の世紀まで歌い継がれるであろう、いやぜひとも歌い継がれてほしい曲を8曲。
「悲しくなったときは海を見にゆく」を山崎さんが歌われたとき、小澤征爾さんが、「中田はいい曲を書く」とつぶやかれたそうですが、中田作品の中でも究極の作品のように思われます。

「どんなつらい朝も、どんなむごい夜も、いつかは終わる・・・」。

ショパンにあこがれて東京音楽学校ピアノ科に入学した中田は、大正12年生まれ。
戦争も体験し、戦後、次々に日本の歌曲を生み出していきます。
フォーレなどのフランスものの影響も受けていますので、「おやすみ」などでは、ハーモニーが実にこまやかでデリケートな変化を見せます。
「悲しくなったときは」は、R・シュトラウスを思わせるような官能的な響きも感じます。
日本の情緒をヨーロッパの音楽の伝統の中に表現しようとしてきた数え切れない試みの中で、ひとつの究極の姿がここにはあるように思えます。
日本の言葉の美しさ、そして情感のこまやかさ、そしていつしか失われてしまった日本の何かが、彼の歌曲の中には生きているように思えます。
しんしんと雪が降る静寂の世界をショパンの幻想曲に見出した中田は、「雪の降る町を」で、孤独なショパンの幻想を見たのかもしれません。

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(上の写真は、リハーサル風景)

そして後半は、武田忠善先生のクラリネットでフランスの小品を3曲。
カユザック、ジャンジャンに続いてピエルネのカンツォネッタ。
「これはダンスの曲。これからヒサモトユウコとダンスを踊ります」
との先生のコメントを聞き、舞台の袖の控え室にいた司会の男性は、本当に踊っていた?!そうですが、ホントにじっとして聞いているのはもったいないようなお洒落なダンスの音楽でした。
クラリネット奏者の作った曲は、さすがに楽器の良さを引き出すように書かれていて、しかも思いのままに書いているような自由闊達なところもフランス人らしいのです。
先生の「今日は、自分の思い出の曲、好きな曲を持ってきた」とのお言葉にも納得。

連休の初日にもかかわらず、今日は、会場に1万人のお客様がいらしたそうです。
その中で、毎年コンサートを楽しみにしてホールに足を運んでくださる常連のお客様もいらして嬉しい限りです。
お世話になりましたセレモアつくばのスタッフの皆様にも御礼申し上げます。

コメント

  1. yuko より:

    そうだったのですか!
    知りませんでした!
    ぜひ、その音楽祭、お聞きしてみたいです!
    私の父の先祖が鶴岡なので、鶴岡説にも惹かれるのですが・・・
    途中で明るい曲調べになったり「思い出だけが通り過ぎていく♪」のあたり、
    たしかに旭川という感じですね。
    クリスタルホール、とても懐かしいです。
    これからは、雪の降る街を!のメロディーとともに、旭川を思い出しそうです。

  2. nishisan より:

    『雪の降る町を』は山形県鶴岡のイメージといわれていますが、旭川の音楽関係者は中田喜直が旭川によく来たこともあって、間違いなく旭川の曲であると強い思い入れから毎年、雪の降る町を音楽祭を開き、この日はこの曲ばかり歌われ、演奏されます。
    久元さんが『展覧会の絵』の映像コンサートを敢行した旭川市大雪クリスタルホール前には歌碑があります。