松浦豊明先生、滋先生を偲ぶ会

2011年8月16日、松浦先生が逝去されました。
その前の年、2010年8月21日に奥様の滋先生が天国に旅立たれ、松浦先生は、奥様のもとに一年をおかずに逝かれました。
今日は、先生にゆかりの方たちが、アルカディア市ヶ谷(私学会館)に集まり、先生の冥福をお祈りする集いとなりました。

松浦先生には、高校3年生から芸大、そして大学院まで、もっとも多感な時期に教えを受けました。
豊島園のご自宅から芸大まで一輪車でいらしたり、レッスンの空き時間があると上野動物園にふらりと散歩に行かれ、弟子にはみな動物のニックネームをつけたり(ちなみに私は”うさぎ”でした)、西武園に大学遠足で出かけると、誰も乗れないようなちっちゃな三輪車に夢中で乗っていらしたり、、、、とエピソードにはこと欠きません。

音に対するこだわりは、常人を逸したレベルでした。音響マニアで、さまざまなスピーカーや蓄音機などを聞かせていただいたことも懐かしい想い出です。音への敏感さはすごく、通り3本くらい隔てた遠くでクラクションがプッと鳴っても、びくっとされていました。
私がベートーヴェンのソナタの最初の2小節を弾くと、
「その音じゃない」「まだ違う」
と延々と響きを追及され、温かく、しなやかで柔らかな音色を心から慈しんでおられました。

ピアノ数台の音色を比べながら曲づくりをしたり、楽譜のエディションを何種類も広げながら選択していったり・・・という先生でしたが、気が付くと自分も同じことをいつのまにかしていて、先生の影響が実は大きかったということに最近気付きました。

事務仕事は嫌いなので・・・と東京芸大主任教授のお仕事を辞され、大阪で教鞭をとられるようになり、晩年は河口湖の別荘で録音などをされていたそうです。
ご子息様が最後のご挨拶で
「父は、晩年よく近所を散歩していました。子供が好きで、ふらりと保育園に入ってピアノを披露したりしていました」
と晩年のご様子を披露され、先生のビデオ「ピアノのおけいこ」が「エリーゼのために」の演奏とともに流れました。
皆に記念品としていただいたCDは「ワルトシュタイン・ソナタ」。
この曲への思いと先生の解説が記念誌の中にありました。

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偶然ですが、どちらも明後日のコンサートで私が弾く予定の曲です。
「がんばって弾いてこいよ。けれどがんばらないでがんばるんだ。無駄な力を抜くんだぞ」
という先生のお言葉が聞こえてきそうで、遺影に手を合わせて、会場をあとにしました。

録音技師の方がお亡くなりになる前夜9時にお会いになっていたそうです。
ご自分の演奏に厳しく、最後まですべての録音に関してCDにすることをOKされなかった先生が、最後におっしゃった言葉は、
「モーツァルトってやっぱり天才だね」
だったそうです。

コメント

  1. YUKO より:

    鳥居さま
    コメントありがとうございます。
    鳥居様がいらっしゃった豊明先生のお宅は、豊島園のお宅でしょうか。
    私も高校生の頃から豊島園のレッスン室でレッスンをしていただきました。
    初めてお伺いさせていただいたときには、高い天井にびっくり!その天井までぎっしりの楽譜棚から梯子を使って数種類のエディションをお取りになり・・・のレッスンでした。ご機嫌の良いときは、カメラや蓄音機を見せてくださったり・・・。楽しい想い出です。
    先生にレッスンしていただいた曲を弾いたりしますと書き込みなどが懐かしいです。
    鳥居様にどこかでお会いできます機会のありますことを祈りつつ・・・。

  2. 鳥居 紀子 より:

    豊明先生と滋先生の夢をみたので、一日中頭から離れず、先生に浸りたいなと、検索していて、ブログを拝見しました。
    一時帰国の際に、お家へは、伺ったのですが、先生を偲ぶ会に伺えなくて、心残りでおりました。先生の思い出や、会の様子を読ませていただいているうちに、久本様にも感謝をお伝えしたくなり、そしていつか演奏を聴きに伺いたいとおもい投稿させて頂きました。

  3. nishisan より:

    うさぎ、ですね。
    恩師のひらめきがすごい。