日本バッハコンクール IN MIYAZAKI

宮崎市オルブライトホールで開催されました日本バッハコンクールの審査員として112人のバッハを聴かせていただきました。

バッハの完璧な叡智は、音楽を愛する者すべてにとり、畏敬の念を禁じえませんが、そこに流れる深い慈愛の精神は、人間を救済してくれる祈りの世界として私たちに大きな豊かさと温かさを与えてくれます。

バッハを聴いて一日を過ごすことができるのは、うれしいことでした。しかもその曲に精魂込めて練習を重ねた純真な子供たち、そして音楽を学ぶ学生の皆さんのバッハです。

あらためてバッハの音楽の持つ偉大さを感じた時間でした。
インヴェンションは、講座などでもよくとりあげさせていただいていますが、2声のインベンションは、どこにも無駄な音がなく、横糸と縦糸が完璧に織り上げられており、教育目的で書かれたこの作品の芸術性は、子供の時には気づかなかったのですが、アナリーゼができるようになり初めて偉大さが見えてきました。

個人的感情が全面に出るとバッハは途端に小さくなってしまうのですが、邪念を捨てひたすら音楽の神様の方に向き素直に心を傾けたとき、そしてピアノという楽器から率直に響きを引き出したとき、そこに「バッハ」が立ち上り、光が浮かび上がります。

バッハの平均律クラヴィーア曲集は、もちろんすべての長調、短調で書かれた48曲からなる曲集ですが、最近感じるのは、長調、短調という調性感だけでなく、旋法としての横に流れる旋律の美しさです。古典派以降のフーガは、調性でとらえるため、装飾音もその調の中の音で弾かれます。ところが、バッハの場合、旋法としてとらえる可能性も残されており、たとえばアンドラーシュ・シフなどがこのとらえ方で装飾音を入れていることを最近友人の指摘で知りました。それにより、その一瞬で神秘性が増し、バロック以前の宇宙感さえ見えてくるような広がりが生まれます。

バッハの持つ無限の可能性と解釈には、終わりがない、と感じています。

バッハに子供の頃から触れ、ステージで演奏し、ともに演奏を鑑賞しあう・・・。
バッハコンクールがそのようなきっかけになるのは、素晴らしいことだと思いました。
石崎久子先生はじめ実行委員の先生方の結束とエネルギーに拍手!

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