ショパンのファンタジー

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一昨日は、この春出版の楽譜に掲載する1843年製プレイエルの撮影でした。ショパンが生きていた時の貴重な楽器です。
写真は、中のアクションを取り出したところです。
電気もない時代に生まれた楽器。フランス貴族のお屋敷の隅に眠っていた時代を経て、今現在生きていることだけでも奇跡です。
あちこちをデジカメ撮影されるのは、彼女?!にとって初めてのことかも。
アクションの左前には、当時のプレイエル社の技術部門トップのドノゴエ氏の焼印が入っています。
今、久しぶりに、ショパンの「幻想曲」をプレイエルで弾いているところです。ショパンが音色の表現のために、いかにペダル指示を細やかに書き込んだかをあらためて感じます。
今年のコンサートでは、これまで使いこんできたパテレフスキー版ではなくエキエル版を使うことに決めました。

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これまでパデレフスキー版を使いながらどうしても納得のいかなかったペダル箇所がいくつかあったのですが、自筆譜のショパンの指示を見て「やはり!」と頷くこともしばしば。天国のショパンと交信している気持ちで曲と取り組んでいます。
いったんレパートリーに入れた曲は、指遣いもペダルも弾き慣れたもので弾く方が楽なのですが、より真実に近づく情熱をもって、壊して、また新たに再構築する、という過程も、ピアノ弾きの悦びです。

コメント

  1. yuko より:

    けんさん、
    たしかに、私も学生時代に、ベートーヴェンを古典派にくくるのは、ピンと来なかったです。
    ロマン派の先駆け、というイメージでしょうか。
    ただ、ロマン派の精神を持ちながらも、がっちりとした構築性を失っていないところに、ベートーヴェンの魅力があるのではないでしょうか。
    冒頭のモチーフが、その後の音楽全てを見通すかのような有機的な繋がりで出来上がった音楽、徹底した主題労作、最近あらためて後期のソナタを勉強していますが、深さに圧倒されています。

  2. けんフロム神戸 より:

    ショパンの演奏は難しいんでしょうね。
    時にはメランコリーに、時には狂おしいまでに情熱的なショパン。
    それは、頭の中で増幅され、頭の中には増幅されたイメージが残ります。
    僕が中学高校の頃(1960後半~1970前半)、音楽の先生にはベートーヴェンは古典派だと教えられたんですが、僕はレコードを聞いていたイメージで、それは違うやろって思っていました。
    でも、年月が経って、インマゼールさんなど古楽器派の演奏を聴いて、やっぱり古典派やったんやって思いました。そして同時に古典派の枠組みで聴くと、逆にベートーヴェンの革新さ、枠を超えようとする勢いが実感できました。フルトヴェングラーなどの巨匠の演奏は、増幅されたイメージを再現しようとしていたのかなと思います。
    (一万人の第九、などはその延長線上になるのかもしれません。もちろんそれはそれで感動的なんですが、100人の第九も、素晴らしい感動を与えてくれます。)

  3. yuko より:

    けん様
    ショパンの人生も作品もドラマティックで小説の題材にもってこいですね。
    ハイドンの小説とかは、考えにくいですし?!
    ただ、夢のような音楽を書いたショパンですが、ショパン自身は、非常に覚めた感性の持ち主だったのではないかと思うのです。

  4. けんフロム神戸 より:

    ひとつのことを突き詰めて考えていく中でそういうレベルに達するんでしょうね。
    中山七里さんが書いた小説、「いつまでもショパン」。演奏シーンが数多く出てきます。技術的なことは分かりませんが、そこからピアノ演奏が聴こえてきそうな、臨場感にあふれていました。読み終えた瞬間早速CDを取り出して聴きました(笑)。