出雲大社参拝

5月17日(土)、出雲大社(「いづもおおやしろ」が正式名だそうです)に参拝。ご祈祷とお祓いをしていただき、「遷宮」についてお話をお伺いしました。
神様のお住まいである本殿。その本殿の修復期間中、神様に、仮殿にお遷座いただき、修復後もとの本殿にお戻りいただくのが「遷宮」。伊勢神宮は20年に一度という周期で、痛んでいてもいなくても全てが新しくされるそうですが、出雲大社は、60年に一度、痛んでいる箇所のみが修復されるとのこと。
延享元年(1744年)に造営され、文化6年、明治14年、昭和28年の3度に亘っての御修造を経て、平成25年5月10日「本殿遷座祭」が行われました。その間、造営当時からの物を極力残す形で修復が行われてきたそうです。
御屋根には檜の皮が使われ、雨でさびてしまう鉄釘ではなく、竹を細く切り出したものが使われるそうです。また湿気が大敵の本殿を守るため、湿気を多く含んだ地面に近いところの風は石垣で止め、湿気の少ない風のみを本殿に通す工夫がされていました。御屋根替えと修理によって美しくなった24メートルの高さの本殿を下から仰ぎ見ますとその荘厳な佇まいに圧倒されます。
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本殿にお鎮まりの大国主大神様のお力は、お住まいが新しくなったときが一番強まるのだとか。
「平成の大遷宮」を終えられた今がまさにそのときです。
出雲大社からの帰り道、宍道湖の夕日は、この世のものとは思えない美しさでした。
夜は、松江市長様、同調会の皆様と歓談のひととき。
神々の集う出雲の国、島根同調会の皆様に御礼申し上げます。

コメント

  1. yuko より:

    植木様
    カミ様のお話、詳しく教えていただきましてありがとうございました。
    なかなかたくさんの神様の名前を覚えられないのですが、日本人として、少しずつ覚えていきたいと思います。

  2. 植木稔 より:

    出雲大社は江戸時代では杵築大社(きつきたいしゃ)と呼ばれていました。祭神は現代では大国主神(『古事記』(フルコトブミ)の出典で『日本書記』(ヤマトフミ)では大己貴神になっています)ですが本当の祭神はソサノフの子のオホナムチ(本名 クシギネ)であり、その子のコトシロヌシ(本名 クシヒコ)でした。初代オオモノヌシ(右の臣)です。オホナムチはソサノフとクシイナダヒメの間に生まれた子供でこの地で善政を行いイツモの地を稲作などで大いに発展させました。しかし、豊かさに伴い朝廷への奢りが起こり朝廷をないがしろにし始めました。朝廷よりも大きなミヤを作り出し朝廷のコントロールが効かなくなりました。いよいよ朝廷とイツモの武力衝突が始まる機運になりました。朝廷はオホナムチを武力で右の臣を剥奪しようとしたのがカシマダチ(右の臣を解任するという意味)です。しかし、美保の松原に隠棲していたクシヒコが父であるオホナムチを諌めて朝廷の命令に従うように聞き入れさせます。武力衝突は回避されます。そして、オホナムチは国替えとなりツカルアソベの森(青森県津軽地方)に遷ります。そこで土地を開発しツカルキミという称号を与えられます。現在も顕国魂神(うつしくにたまのかみ)として岩木山神社で祭られています。現代の神道は『古事記』を重視していますので大黒主神となりますが、本当はオホナムチであったことが真相です。ここで出てくるカミは天上の神ではなく縄文時代に実在した先祖神です。(参考:『ホツマ辞典』より)