西方音楽館・歴史の記憶

記憶の一番最初は、いつ?という話題になったとき
皆が信じてくれなかったのですが
「早く歩けるようになりたい、と思いながら乳母車に乗っていたとき」
でした。
3歳のとき、夜汽車で福岡から東京に出てきたときのこともはっきり覚えています。
一昨日食べたものを忘れる人間が、そんな前のこと覚えてるはずがない!
と言われるのですが、子供のころの記憶のほうが確かなのは確かです。
でもそのとき、
「生まれたときの産婦人科の壁の模様を覚えている」
という人がいて
「目が見えたはずない!」
と皆から総攻撃に逢いました。
でも、この世に生まれた瞬間、母親の胎内にいたときの記憶、そういうものは、見える見えないにかかわらず自分の体内の歴史の中に刻まれているのかもしれません。

「この蔵で私、生まれたんです」
と西方音楽館の西新井さんのご主人に言われたとき、そのときのことを思い出しました。
自分が生まれた場所でずっと暮らせる、ということの幸せ!
この蔵の白壁は、産声を聞き、少年の成長を見守り、結婚を祝福し、子供さんの命を育んできたことでしょう。
永い歴史をともに過ごした家が残り、そこにお住まいになっていることの素晴らしさを感じました。
中新井家は、旧家で、明治時代は、宿屋さんをされていたそうです。中屋という屋号が屋根の瓦に掘られています。
「想い川」という色っぽい名前の川が近くにあり、そこが雨の日に氾濫すると、足止めをくった旅人がこの宿屋に泊ったそうです。近所には、置屋さんもあって芸者さんも呼ばれ、、、、という時代だったとか。

前回、下見でお伺いしたときは、雪景色の中の椿でしたが、今回は、秋の夕暮、柿の実がたわわに実っていました。
本家は桜の三大名所の一つにもなっているそう。
西方町は、栃木市と合併してしまうそうですが、この文化、残ってほしい!と念願しながら、リハーサルに向かいました。

コメント