澤カルテットと久元祐子による室内楽の愉しみ

第11回セレモアつくばクラシックコンサートに、ヴァイオリンの澤和樹さんはじめ、澤カルテットの皆さんと一緒に出演させていただきました。
会場は、セレモアコンサートホール武蔵野。
満席のため、お申し込みいただきながら、いらしていただけなかったお客様にお詫び申し上げます。
プログラムは、ドビュッシーの弦楽四重奏曲とシューマンのピアノ五重奏曲。
急遽ドビュッシーの前にモーツァルトの弦楽四重奏曲「不協和音」の1,2楽章を入れました。
「クリスマス」に「不協和音」っていうのもなんだねぇ。
と笑いながらおっしゃっておられた澤先生ですが、モーツァルトファンのお客様は、思いがけないプレゼントに、大いに喜んでくださいました。
シューマンの五重奏曲は、6月に耕心館で演奏させていただいて以来、澤カルテットとは、2度目の共演ですが、回を重ねるごとに、いろいろ発見があったり、新しい解釈を取り入れたり、深い名曲は飽きることがありません。
第1楽章で、提示部と再現部でクレシェンドが書かれている場所が微妙に違ったり、同じテーマで、違う指示を出す、それら、作曲家の意図したものが何であるのかを追求し続けます。
第2楽章、アラ・マルチアと書かれた2拍子。雰囲気から言って、「葬送行進曲」なのですが、作曲家自身は、ショパンと違ってそうは書いていない。いずれにしても遅くなりすぎないようにしよう、とか
第3楽章は、弦が上がる音型でピアノが下降。テンポ感が微妙にちぐはぐになりやすいので気をつけよう、とか
さらにいろいろ出てきます。

第2ヴァイオリンの大関先生のご指摘で、あらためて譜面をよく見ると、松葉マーク(クレッシェンドをかけてすぐディミニエンド)の位置が、第2楽章の嘆きの同じ音型で、毎回少しずつ違う書き方がされているではありませんか。
楽譜の中にたくさんの謎ときのような音符たちが埋め込まれたまま、後世に解釈の可能性が残されています。それらを解き明かしていく作業には終わりはないのですが、だんだんに見えていくものが増え、深くなっていく過程には興味が尽きません。
第1楽章の難所、
「音が多いので絶対に大きな音になっちゃうんだよね。今まで弱音にできたピアニストはいないんだ」
というチェロの林さんの挑戦的なお言葉に火が付き?!、極限のピアニッシモに挑戦。
これまでの演奏より、弱音の幅が広がりました。
これもホームグラウンドにさせていただいているセレモアコンサートホール武蔵野のベーゼンドルファー・シュトラウスモデルに最高の状態で慣れ親しむことが出来ているおかげです。
カルテットの名器から流れる美音に囲まれ、幸せな共演のひとときでした。
師走のお忙しい中、おでかけくださいましたお客様に感謝申し上げますと共に、休憩時間のシャンパーニュ、紅茶、お菓子などクリスマスの温かいおもてなしに始まり、すべてをにこやかにテキパキとお世話くださるセレモアつくばのスタッフの皆様に、心から御礼申し上げます。

コメント

  1. yuko より:

    自分で極限の音、極端な表現に挑戦した、と思っても録音を聴いたりすると
    なーんだ、大したことないな、と思うこともしばしば。
    なかなか限界を破るって難しいことですね。

  2. nishisan より:

    火がついて、
    極限のピアニッシモって、
    聴いてみたかった、です。
    ピアニストとは、
    すごいんですね。