手あかにまみれた名曲!?と、ちょっとさげすまれたような低い評価を受けることが多いショパンの「幻想即興曲」ですが、それにもかかわらず、いっこうに人気の衰えない曲の一つです。
「作品分析」の時間に、ソリストコースの若者と、今日は、あえて幻想即興曲にアプローチしました。
いくつかの理由でショパン生前には、出版されなかったこの曲。長年、フォンタナによる版で弾かれてきました。その後、ルービンシュタインが自筆譜を発見。それまで弾かれてきたフォンタナ版との大きな違いを指摘し、「決定版」として世に送り出しました。
ウィーン原典版には、その両方が載っています。
教育実習に行っていて1人欠席。4人全員が、これまでフォンタナによる普及版を疑うことなく弾いてきたそうです。
私も子供時代は、普及版の方で弾いていたのですが、数年前「ピアノ名曲による花束」のCD録音の際、初めてルービンシュタインの決定版を演奏しました。普及版に比べ音も増え、表現もこまやかになっている分、ハードルは高くなるのですが、新鮮な魅力を放つルービンシュタイン版は、新しい幻想即興曲像を提示してくれました。
伴奏音型の違い、ディナーミクのこまやかな変化、激しいドラマ表現におけるリズムの扱いなど、ショパン自身の意図にあらためて接し、ショパンの持つデリカシーと和声の変化を確認しました。その表現のためには、左手のしなやかな動きが不可欠になります。
中間部などは、おそらくショパン自身、弾くたびに異なる装飾をつけただろうと思われます。
ルービンシュタインの発見のように、作曲家の死後新たな手がかりが見つかり、曲のイメージが塗り変わることは、しばしばあることです。
伝えられてきたスコアに敬意を払い、演奏者による勝手な改竄を慎むことは当然ですが、これまでの作品像を永久不変の大理石のように捉えることも適当ではありません。
いろいろと考えさせられたひとときでした。
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