ルーベンスとモーツァルト

11月13日(日)の日経新聞「美の美」は、ルーベンスと狩野永徳の比較でした。
ルーベンスの「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」が目に入りました。
ルーブルで見たときの記憶が蘇ります。数多の名画の中からかなり時間をかけて鑑賞したひとつがこのでした。神々しいほどの迫力に圧倒されたのを覚えています。rubens

浦田憲司論説委員の上質の文章を読ませていただきましたが、その中にルーベンスに関する次のような説明がありました。

「芸術的な才能があるだけでは、優れた宮廷画家にはなれなかった。王侯貴族と交際できる教養の持ち主であることが条件だった。ルーベンスはフランドル(現ベルギー)の名家の出身で、ラテン語など数カ国語を操り、古典文学などの教養を身につけた礼儀正しい紳士だった。画家としてネーデルランド総督のアルブレヒト大公夫妻やスペイン王、フェリペ4世に重用され、名声を得た。さらにスペインとイギリスの和平交渉のために派遣されるなどの外交官としても活躍した。ビジネスマンの資質を持ち合わせ、ゴッホのような破滅型の画家とは対照的だった。」

外交官としての活躍の部分を除けば、ルーベンスに関する上の指摘は、モーツァルトにもほぼ当てはまると思われます。
我が国では、小林秀雄が『モォツァルト』の中で、モーツァルトの「統一のないほとんど愚劣とも評したい生涯」と「完璧な芸術」との間には、「驚くべき不調和」があると指摘したり、映画『アマデウス』の影響もあって、モーツァルトは不器用で、軽薄で、社交下手な人物だったようなイメージを持たれていることが多いのですが、かなり事実に反すると思われます。
モーツァルトは、幼少の頃からヨーロッパ中を旅し、ラテン語、イタリア語、フランス語、英語を操ることができた国際的な人物でした。王侯貴族にも可愛がられる社交術も身につけていました。彼が面会した君主は、オーストリアのマリア・テレジア女帝、ヨーゼフ2世、フランス国王ルイ15世、英国国王ジョージ3世、ローマ教皇クレメンス14世、ナポリ国王フェルディナント4世など多数に上ります。
また、オペラの作曲には、文学や歴史に関する教養が不可欠でした。
モーツァルトが困窮したというのも事実と相違するようで、度重なる借金の催促は、彼の浪費癖に起因するようです。
浪費癖とビジネスの才能はしばしば両立します。モーツァルトが存命中、ほかの星の数ほどの音楽家たちと比べ、際だって成功した存在であったことは、ビジネスの才能を窺わせるのかもしれません。

なお、モーツァルトは、9歳のときフランドルを訪れ、アントワープでルーベンスの絵画を見ています。レオポルト・モーツァルトは、ルーベンスの絵について、次のような感想を残しています。

「フランドルおよびブラーバン地方には、まことにすぐれたオルガンがみられるのにご注意ください。しかし、ここではなかんずく、まこと選り抜きの絵画のことをお話しすべきでしょう。アントヴェルペはことさらにそうした土地です。私どもは教会という教会を走りまわりました。私は当地とブリュッセルでほどたくさんの白大理石に黒大理石、それにおびただしい優れた絵画、なかでもリューベンスのものにお目にかかったことはいちどもありません。とりわけアントヴェルペの大聖堂の『十字架よりの降下』はリューベンスの作品ですが、想像力のすべてを凌駕しています」(デン・ハーク 1765年9月19日)(『モーツァルト書簡全集Ⅰ』白水社)

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