オールド・ベーゼンで弾くシューベルト

下の写真は、ウィーンのベーゼンドルファー社の創始者、イグナーツ・ベーゼンドルファー自身が制作した楽器です。
譜面台に、シューベルトのスコアを置いています。
この楽器が制作されたのは1829年。その前の年に、シューベルトは亡くなりました。
1829-1
この1829年製のベーゼンドルファーでシューベルトの即興曲を弾きますと、この曲がとても密やかな世界を体現していることがよくわかります。
フォルテシモやスフォルツァントは、この曲集にもよく出てきますが、決して大声で叫んでいるわけはないのです。

現代のピアノでシューベルトを弾くとき、たとえば、最初のヘ短調の和音など、いくつか届かないところがあり、そのバスの音は、ペダルに頼るしかありませんでした。けれど音を保つために踏むペダルは、当然、ほかの響きにも影響を与え、くっきりとした輪郭が少しぼやけてしまうジレンマがありました。
決してヴィルトオーゾではなかったと思われるシューベルト。リストやラフマニノフのようなピアニズムとはかけ離れたところに位置し、ピアノの効果を知り尽くしていたわけではなく、どこかピアノでの表現がしにくかったのではないか ― これは、きっとシューベルトがピアニストでなかったせいで、ピアノの腕前が歌心に追いついていかないせいなんだろう・・・と漠然と思いながら弾いていました。
けれど、この1829年製は、決してそうではないことを証明してくれます。
鍵盤の幅が現代の楽器より、1ミリ短い。
たった1ミリくらいと思われるかもしれませんが、オクターブにすると5ミリ以上は違うのです。その結果、10度も簡単に届くことができ、冒頭の和音を含め、シューベルトの楽譜どおりに弾くのが困難だった場所がおさまるところにおさまっていきます。
上の方は、本当にかすかな儚い音ですから、この楽器を練習し始めた当初は、心もとなくて、下とのバランスをとるのに、苛立ちを覚えました。現代の強靭なハンマーに慣れている指にとって、ポーンと響くはずの音が、「コン」というかすかな音しかならないのですから、ある意味、現代の楽器を知る耳にとって欲求不満の部分が残ったのです。
けれど、慣れ親しむ間に、だんだんに、この「コン」を愛せるようになってきたのです。
電気のない時代の灯りは、蝋燭かオイルランプか星のまたたきでした。一瞬たりとも同じではなく、ゆらめいたり、変化したり、という光です。蛍光灯に慣れた目から200年前の光に慣れるように、耳もタイムスリップしている今日この頃。
この「コン」の音に耳を澄ますとき、楽器の向こうから何かが見えてくるような気がします。

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