高橋英郎先生のご逝去

今日、高橋英郎先生の訃報が入りました。
3月18日、82歳で天国に旅立たれたそうです。

高橋先生は、長年にわたり、「モーツァルト劇場」を主宰しておられ、モーツァルトへの愛情があふれた方でした。例会に何度か出演させていただいたことがあります。奥様の照美先生がモーツァルトのリートを録音なさったときにも、お声をかけていただき、ピアノ伴奏でご一緒させていただきました。

「モーツァルトのオペラで日本のお客様と一体になるためには、日本語の歌詞にして歌う」という姿勢をずっと貫かれておられ、自ら歌詞を邦訳されておられました。

一方、原語でなければモーツァルトの良さは出ないという意見の方も多く、そういう批判を数多く受けられても、怯むことなくご自身の主義を変えず、ずっと活動を続けてこられたエネルギーの源は、やはりモーツァルトの音楽を日本に広めたいという情熱にあったのだろうと思います。

杉並のご自宅にお伺いさせていただきました折も、オペラの道具や楽譜など、階段にも廊下にもモーツァルトがあふれ、モーツァルトに囲まれていらっしゃった先生です。当時、モーツァルト書簡全集の日本語訳の出版がアメリカよりずっと遅くなっていることに対し嘆いておられました。

また「従妹ベーズレとは、恋人関係だった」と力説されておられ、神棚に祭り上げるモーツァルト像ではなく、「人間モーツァルト」としての研究をされておられました。

それにしてもオペラ上演というのは、いくら情熱があったとしても並大抵のご苦労ではなかったことと想像されます。舞台稽古、演出、ホール打ち合わせ、事務的なもろもろのお仕事、それらすべてを最愛の奥様とご一緒に、命をかけてなさっておられました。先生と奥様が創造された数々の舞台は、歌手仲間の方たちの記憶の中に、そして「モーツァルト劇場」のお客様の心の中に生き続けることでしょう。

きっと今頃、天国でモーツァルトにお会いになり、オペラの日本語上演について、語り合っておられるのではないでしょうか。

伴奏をさせていただいた奥様の高橋照美先生のCDから「夕べの想い」をかけ、ご冥福を心からお祈り申し上げました。

コメント

  1. yuko より:

    K488様
    今年は、K488の本番が続いています。高橋先生と何度か対談をさせていただきましたが、その折、イ長調の話になりました。愛情深いアリアやお気に入りのクラリネットにイ長調を使った理由、、、。先生は、恋の苦しみは嬰へ短調!甘さ、切なさを伴う痛みの調との対比ではないかしら、とおっしゃっておられました。

  2. k488 より:

    突然のメール、失礼します。 
    私も、高橋英郎先生から、モーツァルトの魅力をたくさんたくさん教えていただきました。
    NHKFMなどにも、ご出演され、彼の愛すべき曲や名演奏を熱く語っていらっしゃいました。今でも、そのときの録音を聴いて楽しんでおります。
    また、彼の魅力を表現した先生の文章は、優しく、的確で、モーツァルトの音楽そのものでした。
    赤字覚悟で、オペラの日本語上演をされた先生。優しく愛にあふれ、自分に厳しいすばらしいお人柄で、人間はいかに生きるべきか教えてくだったような気がします。
    久元さんと照美夫人とのすてきなコンサートもモーツァルト劇場ならではのあたたかさがあったような気がします。あのとき、私は、「春へのあこがれ」を聴き、どうしてか分からないのですが、涙が出てきました。すてきな演奏でした。
    今、天国で、モーツァルトと冗談をいいながら、熱く語っていっらしゃるかもしれませんね。
    これからも、久元さんのコンサートに行きたいと思っております。楽しみにしております。

  3. yuko より:

    屋根の上の牛様
    コメント、ありがとうございます。高橋先生のゼミ、私も拝聴してみたかったです。
    モーツァルトのコンサートのリハーサルなどで、先生のお宅に何度かお邪魔させていただいたことがありますが、オペラの道具などがあちこちに置いてあり「1回で捨ててしまうのは本当にもったいない」とおっしゃっておられました。
    モーツァルトをこよなく愛しておられた高橋先生は、きっと今頃、天国でモーツァルトにお会いになり、フランス語で話しかけておられるのでしょうか。
    ご冥福をお祈りしております。

  4. 屋根の上の牛 より:

    突然のコメント、失礼致します。私明治学院のBで、高橋先生のゼミの学生でした。ネットで色々検索している内に、そういえば仏文の教授方はどうされているのだろう、と思い、高橋先生を入力してみましたら…、大好きな先生でした、仏語は失礼ながらカタカナを読んでいるようで、発音にうるさい他の教授から文句が出そうな感じでしたが、ちゃんと海外で生活されたわけですから、外国語は発音じゃないんだな、と納得。「好き嫌いはあった方がいいですよ」と言われたのが印象的で、私もそのように生きてきています。訥々とつっかえながら語るのに、なぜか聞き入ってしまう話の数々。卒業して10年ぐらいしてカルチャーセンターのクラシックに関する講演を聞きにいった想い出があります。ゼミの時間にもよくモーツァルト関連のイベントの話をされ、何で仏文教授がモーツァルトなんだ、と思いながらも許せてしまう、そんな先生でした。ちなみに私はラヴェルで卒論を書き、先生に見ていただきました。今はジャズピアノを弾いています。長々と書いてしまいましたが、高橋先生のご冥福を祈りたいと思います。クラシックも大好きなのでまたお邪魔するかもしれません、宜しくお願いします。