1925年、関東大震災で壊滅状態となったYMCA会館再建委員の一人として来日したポール・ラッシュ。その後、立教大学教授として日本に残り、アメリカンフットボール協会を設立。
清里を拠点に農村の復興、アンデレ教会完成、清泉寮再建など多くの業績を残し、日本の地で亡くなりました。「最善を尽くせ、一流であれ」をモットーに教育に命を捧げたポールさん。
美しい清里の地で、スポーツを通じた若者の逞しい成長を願い、アメフトだけでなく、日本におけるスポーツ振興に尽力され、戦後初の高校野球大会には主賓として祝辞を述べておられます。
先月、21日、移動の途中、ポール・ラッシュ記念館に立ち寄り、その人生に想いを馳せ、邸宅を拝見しました。
寝室の窓からは美しい富士山が見え、居間からは紅葉を眺めることができます。
畳が敷かれた清里聖アンデレ教会。
賛美歌が奏でられたオルガン。
学生達とともにた撮影された写真からは、人懐こいポールさんの笑顔がはじけそうでした。
アメリカの大リーグで日本の選手が活躍する姿を、天国で目を細めて見ていることでしょう。
日本中の野球ファンが歓喜したワールドシリーズ・ドジャーズ優勝の瞬間。
アメリカの大柄な選手に引けを取らない恵まれた体格、緻密な頭脳、強い精神力、チームメイトに愛される人柄、これらを併せ持つ日本人選手が現れることを、ポールさんは想像していたでしょうか。
爽やかなスポーツマンたちの国際貢献は計り知れません。
それなのに、外野手の腕を引っ張りグローブからボールを奪い取る行為や、暴徒と化して街で車に火を放ったり、というとんでもないニュースには唖然。
マナーが悪いという段階をはるかに越えています。
これも、アドレナリンが出て興奮させる「スポーツの魔力」のせいなのでしょうか。
ポールさんの教えに恥じないファンであってほしい、と願うばかりです。
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