白井光子先生・ドイツ歌曲特別レッスン

国立音楽大学の招聘教授の白井光子先生による公開レッスンを拝見させていただきました。

妖精のような軽やかな足取りで会場に登場された白井先生。
身のこなしがしなやかで体重をまるで感じさせない小柄な方でした。
詩によって、フレッシュな少年にもなり、ちょっと狂った人にもなるなど、瞬時に変身。歌の主人公が目の前に現れます。

「私」
ドイツ語では、胸の深いところ、イタリア語では口のあたり、英語は顔に、フランス語は首の後ろにあるそうで、たしかに言語によって「自分」の位置が全然変わってくるというのは、大変おもしろいお話でした。

世界を舞台に活躍しておられる先生ならではの視点とステージと教育の現場から先生ご自身がつかみとってこられた感覚の鋭さには、感動しました。
伴奏者に対しても
「ピアノとの距離がうまくいっているか?」
「歌い手のエネルギーをくみとって距離を縮める」
・・・などなどタッチや音色にまで、こまやかに指示が飛びます。

あなたは、声が先に来ている、言葉が雑!言葉は、声の邪魔になると思っている人がいるが言葉は声を助けてくれるもの、と実際的なレッスンに、最初、くぐもった声で自分を出し切れていなかった学生が、みるみる変わって、殻がとれたように、のびやかに歌い上げていく様には、驚嘆しました。

シューベルトの「笑いと涙」では、装飾音が心のもやもやだったり、スケールが笑い声だったり、、、とファンタジックな音楽に変わります。
モーツァルトの「クローエ」のテンポ感を少し変えるだけで音楽が生き生きとなります。
シューマンの「献呈」では、目線を変え、対象をはっきりとイメージし、言葉を明確に体現することによってシューマンの音色が浮かび上がりました。

モーツァルトで、日本の出版社の譜面を持ってきていた学生に、
「こういう曲のときは、ペーターズ版を使いなさい。どの楽譜から学ぶかによって心に残るものが全然変わってくる、楽譜は絵になって残るから音楽がちゃんと心に残る。いい楽譜を選ぶこと!」
と厳しく指摘されていました。

コメント

  1. YUKO より:

    > 無限の世界を感じます。
    同感です。
    芸術の道は、きっと深い深い森に足を踏み込むようなものなのだと思います。
    森の魅力にはまり、からめとられるように、森の世界に入ってしまうのかもしれません。
    たくさんの棘に刺されたり、嵐にあったり、道に迷ったりしながら進んでいく。
    花のかぐわしさ、空気の美しさ、変化の多彩さ、それらを味わう喜びが、またさらに先に進むエネルギーになっているのかもしれません。

  2. nishisan より:

    極める、
    指導する、
    学ぶ、
    無限の世界を感じます。