「円熟する」ということについて(その1)

3月3日、新宿文化センターで、「モーツァルトとリストの午後」と題し、新宿未来創造財団主催のリサイタルで弾かせていただきました。
大勢のみなさまにお出かけいただき、感謝しております。
同時に、自分なりに、考えさせられることがありました。

昨日は、プロ中のプロの調律師さんが、このピアノにとり、また演奏曲目に最もふさわしい調律をしてくださいました。そして、調律師さんをはじめ、さまざまスタッフのみなさんが最善を尽くして、2時間のコンサートのためにスタンバイしてくださいました。
あとは演奏、というスタート地点に気持ちよく立たせてくださいました。

コンサートでは、普段弾いているピアノではない楽器を弾くことが宿命づけられます。これはピアノ弾きにとり、第1関門なのですが、ここを突破する力をくださるのは、まず第一に信頼する調律師さんです。
そして第2の関門。
ホールの残響は、リハーサルのときとお客様が入られた後とでは、かなり違います。音で勝負する人間にとって残響は大きな要素ですから、この戸惑いを克服するのが第2の関門となります。最初の4小節くらいで慣れるしかありません。

そこからの第3関門は、お客様が入られた後の、そのコンサート会場の「気」です。
「気」の交感とともに音楽が進んでいく生のコンサートでは、いつも、この「気」の存在が大きいと感じます。そのときの「気」によって、何かステージに降り立ち、たまたま私がそこにいた、とでも申しますか、それが、私の力を超えたような何かを表現してくれることもあります。そのときの「気」のために、なぜか別の方角に行ってしまうこともあります。

ほとんどのお客様が耳と心をすませて音を捉えてくださっっている中、お一人でも違う気が流れていると、奏者はそれを察知するものです。
私が師事したことがある巨匠は、咳をされたお客様に対し、演奏中立ち上がって
「ここから出ていくか咳をやめるかどちらかにしてくれ」
と怒鳴られ、
某超有名女性ピアニストは、おしゃべりを始めた子供をにらみつけ、蓋をバーーンとしめ、演奏を中断してしまったそうです。
演奏直前「ホギャー」と泣き始めた子供の声が耳に入った老指揮者。
「お子様には無理な曲かと存じます。ご退席をお願いいたします」
と指揮台から降りておっしゃり、お母様はその子供を連れて会場を小走りにかけて退場、という場面に出くわしたこともあります。

携帯電話が鳴ったり、缶ジュースの缶を落としたり、お財布の鈴が鳴りだしたり、お金をじゃらじゃら落としてしまったり、といったハプニングもときどき起きます。
咳が止まらなくなったり、おしゃべりももちろんあります。以前、「展覧会の絵」のとき、30分間ずっとおしゃべりを続けている一番前の子供に悩まされながら弾いた経験が一度ありますが、そのときが最初で最後、以来、そんなおしゃべり好きな子供に遭遇することはありません。

ただ、足ブラブラが目に入ると、私はそこから引き起こされる「気」の変化に後ずさりするということに気付きました。
今日は、今年度で一番お客様がたくさん入ってくださった日ということで、スタッフの方も喜んでくださいました。
休憩時に拾い調律をしてくださるために会場に入られた調律師さんも「すごい熱気でびっくり!」と驚いておられました。そのような中にあって、まだ椅子に足がつかない、もし私が子供だとしてもけっこう座りにくいであろう高い椅子に座った最前列の子どもさんは、おしゃべりもせず、私の演奏に耳を傾けてくれていたのでしょう。
足をブラブラさせながら・・・・
その子どもさんの足のブラブラ、それをやめさせようとする隣のお母様、
そのお母様の小さなお声
「やめなさい!」
が耳に届いたとき、私の前に霧がかかりました。

足が届かない子どもさんが足をブラブラさせるのは当然のことです。お母様の対応も常識にかなったものでした。その後は、私なりに「気」を制御し、結果的には想い出に残る、お雛様のコンサートになりました。
同時に、モーツァルトには魔物がいる、といういこと、そして、自分はまだまだ、いつもそのときそのとき初体験のコンサート会場の「気」と十分に向き合えていないということを感じたのです。
ピアノ弾きとしての齢を重ねてきた自分にとり、「円熟」にはまだ手が届いていないことにも気付きました。
私の試行錯誤はこれからも続きます。

コメント

  1. yuko より:

    > 疲れて寝ちゃったポールモーリアの子供たち、かわいい!
    以前、青少年オーケストラと海外公演でピアノ協奏曲を共演したとき、時差のせいで、こっくりしている管楽器の子がいましたが、、、。
    ******
    桃カステラ、私もおまんじゅうに見えたのですが、さすが、長崎!カステラなんですね。これが。

  2. nishisan より:

    ポールモーリアを小学校の吹奏楽で演奏していた子供たちをポールモーリア公演に連れて行き、気づいたら、3時間余の車の疲れからか寝入っていました。