国立音大の新学期

今年の授業も本格的に始まりました。

演奏論の時間には、ファンタジーの即興演奏を課題に出しました。
未完に終わったモーツァルトのKV397のファンタジー。モーツァルトが自筆譜の後に何を作曲しようとしたかは、わかりません。
「ふだん弾かれている、ミュラーのおめでたい10小節の加筆ではなく、各自、モーツァルトになったつもりで考えてみて」
という課題を出したところ、それぞれに個性的な加筆をしてくれました。

ジャズピアノ専攻の学生は、ジャズ風のアンニュイな加筆、
特別聴講の優秀な高校生は、モーツァルトのモチーフを転調して扱い、
声楽科の学生は、ポップス調の和声を使い、おしゃれな感じでまとめます。

それぞれの個性が出ていて、発表を聴くのがとても楽しい時間でした。

夕方は、音楽研究所プロジェクトを聴講。
久保田慶一先生と白石美雪先生による対談。
「20世紀音楽の楽譜を読むとは?~作曲家の発想の変化が楽譜の変化を生む~」
というタイトルで、1時間半にわたり、さまざまな切り口で、質疑応答が行われました。

五線譜を日常的に使っている演奏家にとり、五線譜は作曲家からのメッセージの記号として読み取り、伝達手段として最も使いやすい方法ですが、その五線では表すことがだんだんできなくなるような音楽が生まれ、たとえば、音の塊を、塊として楽譜に書き込んだり、白い楽譜に線を引くだけの表現が生まれたり、様々な音楽表現とともに、それにふさわしい表現方法がとられてくる過程が説明されました。

五線譜も、心を表す上ですべてを表現できる完璧な手段ではありませんが、18世紀から19世紀にかけての音楽芸術が普遍性をもって現代に受け継がれてきた理由の一つは、この伝達手段にもあったように思えます。

最後の質問コーナーで、ウィーン古典派、ロマン派を専門としておられる今井顕先生から質問が出ました。
「こういう現代の音楽を聴いていると、なんだか取り残されている気分になるし、なぜ情念や哲学や感情がなくなってしまったのだろう・・・と思う。ノイズの音楽のどこに、癒しがあるのか?」

この発言を機に、意見が活発に出ました。
「癒しでない音楽も音楽である」「ノイズの音楽も聴いていてわくわくする」
などなど。

これからの一年、どのような議論が出て、どのように音楽論が飛び交うのでしょうか。
火花が散るようなやりとりやエキサイティングな意見交換は、ドビュッシーからウェーベルンまでを扱う20世紀音楽のプロジェクトとしてとても喜ばしいことなのでは・・・と感じた初回でした。

コメント

  1. YUKO より:

    NISHISANにとって溶け込める音楽はどのような音でしょう?

  2. nishisan より:

    そうですよね、
    ラップや流行りの歌にも溶け込めない、
    ノイズに近いかも。