函館開港と音楽

先日、函館にお住まいでいらっしゃる調律の小川進さんが、東京でのお仕事の後、お寄りくださいました。
森町でのリサイタルで調律していただいて以来、10年ぶりの再会です。
そのときは、森町から函館に足を伸ばし、観光したのですが、大きなお寺と大きな教会が隣り合わせにあったり、珈琲と洋菓子の美味しい喫茶店の内装が大正ロマンの趣を残していたり、、、和と洋が混在する魅力的な街並みだった印象があります。
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今日は、その小川さんからプレイエルを見せてもらったお礼に・・・と「函館開港と音楽」の小冊子が届きました。
幕末の音楽事情についての記述、そして西洋音楽受容の歴史についても詳しく、興味深く拝読しました。
江戸市中でも寺社地には声明や雅楽、武家地には謡や箏曲、町人地では三味線音楽、という具合に、地域によって異なる「邦楽」が奏でられていた日本。1853年7月、浦賀沖に上陸した黒船、ペリー艦隊の軍楽隊によって西洋音楽に初めて接し、人々は大音響と見慣れぬ楽器に度肝を抜いたことでしょう。ペリー上陸の際には、「ヘイル・コロンビア」、帰途に「ヤンキー・ドゥードゥル(アルプス一万尺)」が演奏されたそうです。
1854年5月に、視察目的で函館に到着したペリー。この冊子によりますと、函館町民が最初に聴いた「西洋音楽」は、なんとヘンデルの「葬送行進曲」!乗組員の一人が亡くなり、船から外国人墓地まで葬送行進が行われ、葬儀でヘンデルのオラトリオ「サウル」の「葬送行進曲」が演奏されたという記録が残っているそうです。
毎日、当たり前のように聴き、弾き、歌っているヨーロッパの音楽ですが、その受容の歴史を考えると私たちの先人の「驚き」と「感動」が原点となっていることに、あらためて気づかされます。

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