演奏科学

大学院の「作品研究」の授業で、今バッハを取り上げています。学生と一緒に久しぶりにグレン・グールドのインタビュー&演奏映像を見て、あらためてその鬼才ぶりに圧倒されました。

恐ろしく正確な指揮者のようなテンポ感、オーケストラのような多彩な音色、身体の中からあふれる歌声、いったん一つ一つの核に分解し再構築するような怜悧な知性、いくつものテイクから選び取り「完璧な録音作品」として仕上げていく頭脳、、、。

人前で手が冷たくなったりする緊張から解放され、ソファーに悠々と座り、のびのびとテイクを決めていく姿は、まさに自由の翼を得た少年のよう。演奏会ではなく、録音という表現手段に方向転換したことで、神経質な彼はレジェンドを造り上げました。

ところで、昨年は、演奏会を中止にするか、延期にするか、無観客配信にするか、など、主催者さんは選択に迫られることが多かった一年でした。演奏家である私は、基本的に主催者さんの判断に従い、弾かせていただいたり、延期の日程を決めたのですが、そんな中、あらためて これまで当たり前に行ってきた「生の演奏会」について考える機会となりました。「生の演奏会」にしかない高揚感は、いったいどこから生まれるのだろう、と。

「無観客配信のために舞台上で録画をしたんだけど、ずっとリハーサルをやっているような気分だった」と、先日ある管楽器奏者の方が笑いながら仰っていました。客席との気の交流の中で生まれる「何か」、その瞬間天から降ってくる「何か」、この言葉にできない「何か」は、演奏会を決定づける重要な要素なのかもしれません。

神戸大大学院国際文化学研究科助教の正田悠さんのインタビュー記事(神戸新聞2月7日付け)を過日読みました。ご専門は演奏科学。演奏科学とは「演奏」について、計測やデータをもとに考察する学問とのこと。
人前で演奏することは、不安が要因で表現力が下がるというこれまでの研究に対し、「お客様がいることで良くなることもあることを証明していきたい」と正田さんは述べておられました。

グレン・グールドのように他人に邪魔されることのない自分の世界を録音で築き上げる人もいれば、時間と空間の両方をお客様と共有しながら本番の底力を発揮するタイプの音楽家もいます。

いずれにせよ、成功の舞台には「ミューズの神様が降りてくる」、失敗する舞台には「魔物が住んでいる」、とよく言います。魔物に足をすくわれないために、ミューズの神様に時間を捧げよう!とピアノに向かう今日この頃です。

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