弟が亡くなって6年。七回忌を迎えました。
少年時代から自然が好きで、いつも外で遊びまわっていた弟です。
夜暗くなっても家に戻ってこなくて、両親が警察に捜索願を出したことがあるほど。
子供の頃は、気が優しくて泣き虫でした。家族そろってトランプをするといつも負けてビービー泣くので、父がわざと負けてあげたり・・・。
弟が東北大生として仙台に住んでいたころ、下宿に遊びに行き、夜中までお喋りし、見事な七夕まつりを案内してもらったのも大切な想い出です。
「お姉ちゃんは、おふくろの音感を全部持って行っちゃったから俺は音痴だけれど、お姉ちゃんは方向感覚を持っていくのを忘れたな!」と方向音痴の私をいつもからかっていました。
私と対照的に、アウトドア派の弟の方向感覚は大したものでした。子供の頃の夢は、パイロットになること。でも色盲ということがわかって方向転換。地質学の方に進みたかったようですが、希望が叶わず化学の分野に進み、瓦斯化学の工場長として台湾に赴任したこともありましたが、諸々の苦労があったようです。
台湾から一時帰国する日は、奮発して、見事な竹細工の名刺入れや、美味しい烏龍茶をたくさんお土産に買ってきてくれました。
それらの缶は、ずっとそばに置いています。
今は、弟の家族が元気でいてくれることが救いですが、弟を思う時、弟一人救えなかった姉の不甲斐なさと無力さを痛感するとともに、冥福を祈るばかりです。
ムソルグスキーが組曲《展覧会の絵》~カタコンブ~で表現した、若くして亡くなった親友ガルトマンとの邂逅の場面は、明るいロ長調の光で表現されています。
最近、祈りを捧げ、音楽を奏でる中で、天国にいる弟と交信するような気持ちになることがあります。
そして、すでにこの世にいない作曲家の音楽を奏でる瞬間は、あの世とこの世を結ぶ営みのように感じることさえあるのです。
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